2021-03-10 第204回国会 衆議院 法務委員会 第2号
開会式におきましては、高円宮久子妃殿下に御臨席を賜りまして、大変貴重な御挨拶を、お言葉を頂戴することができましたし、また、菅総理にも御出席をいただきまして、ホスト国の代表としてのスピーチをいただくことができました。 また、グテーレス国連事務総長におかれましては、ニューヨークからライブ中継で御参加をいただきまして、全てのセッションにつきましても御覧をいただいたというふうに承っております。
開会式におきましては、高円宮久子妃殿下に御臨席を賜りまして、大変貴重な御挨拶を、お言葉を頂戴することができましたし、また、菅総理にも御出席をいただきまして、ホスト国の代表としてのスピーチをいただくことができました。 また、グテーレス国連事務総長におかれましては、ニューヨークからライブ中継で御参加をいただきまして、全てのセッションにつきましても御覧をいただいたというふうに承っております。
奥様の久子様は、皆さんに助けられ、皆さんのおかげで活動することができました、ありがとうございましたと、悲しみをこらえ、気丈に弔問の私たちに気遣い、感謝の言葉を述べられました。 まだ六十六歳、寂しさがしんしんと込み上げてまいります。残念で、無念で、痛恨のきわみです。 ここに私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと思います。
○参考人(今野久子君) 固定的性別役割分担とか何かも含めて、やはり人の意識というのは時間を掛けて変えていく必要があるし、それから、基本的にどうあるべきかということに関して、きちんとやっぱりモデルが目の前にあって、そういう中で意識というのは変わっていくのではないかなというふうに思います。
○参考人(今野久子君) 基本はやはり、その人が嫌だと思うことについてはしないことというのが原則だというふうに思います。 今のお話の中には幾つかグレーゾーンの問題があるかなと思うんですけれども、でも、グレーゾーンのことについても、それに当たる行為をしないということがやっぱり労働者の働く環境を整えることに役に立つのではないかというふうに思います。
○参考人(今野久子君) 真の意味でのワーク・アンド・ライフ・バランスですね、それの確立が必要ではないかなというふうに思っています。そのためには、やはり長時間労働の解消というのはもう本当に最重要課題ではないかということです。
○副大臣(柴山昌彦君) 日本放送協会経営委員会委員浜田健一郎君、北原健児君、澤登久子君、竹中ナミ君及び室伏きみ子君の五氏は六月十九日に任期満了となりますが、浜田健一郎君及び室伏きみ子君の二氏を再任し、北原健児君の後任として上田良一君を、澤登久子君の後任として宮田亮平君を、竹中ナミ君の後任として美馬のゆり君を任命いたしたいので、放送法第三十一条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため本件を提出いたしました
なほみ君 篠塚英子君4・1任期満了につきその後任 検査官 柳 麻理君 山浦久司君5・10定年退官につきその後任 預金保険機構理事 井上 美昭君 9・7任期満了につき再任 小幡 浩之君 9・7任期満了につき再任 日本放送協会経営委員会委員 浜田健一郎君 6・19任期満了につき再任 上田 良一君 北原健児君6・19任期満了につきその後任 宮田 亮平君 澤登久子君
内閣からの申し出中、 まず、 国家公安委員会委員に山本剛嗣君を、 公害等調整委員会委員に松森宏君及び杉野翔子さんを、 日本放送協会経営委員会委員に浜田健一郎君、澤登久子さん及び竹中ナミさんを、 労働保険審査会委員に中嶋士元也君及び品田充儀君を、 社会保険審査会委員に渡邉等君を、 中央労働委員会公益委員に鹿野菜穂子さんを 任命することについて、申し出のとおり同意を与えるに御異議ありませんか
————————————— 採決順序 1(全会一致) 国家公安委員会委員 山本 剛嗣君 公害等調整委員会委員 松森 宏君 杉野 翔子君 日本放送協会経営委員会委員 浜田健一郎君 澤 登久子君 竹中 ナミ君 労働保険審査会委員 中嶋士元也君 品田 充儀君 社会保険審査会委員
剛嗣君 吉田信行君5・23任期満了につきその後任 公害等調整委員会委員 松森 宏君 大坪正彦君6・30任期満了につきその後任 杉野 翔子君 6・30任期満了につき再任 日本放送協会経営委員会委員 小丸 成洋君 6・19任期満了につき再任 浜田健一郎君 岩崎芳史君6・19任期満了につきその後任 叶井真由美君 桑野和泉君6・19辞職予定につきその後任 澤 登久子君
次に、日本放送協会経営委員会委員小丸成洋、岩崎芳史、小林英明、飛田稔章及び野間光輪子の五氏は六月十九日に任期満了となりますが、小丸成洋氏を再任し、岩崎芳史氏の後任として浜田健一郎氏を、小林英明氏の後任として澤登久子氏を、飛田稔章氏の後任として北原健児氏を、野間光輪子氏の後任として竹中ナミ氏を、また、桑野和泉氏から辞任の申出がありましたので、その後任として叶井真由美氏を任命いたしたいので、放送法第十六条第一項
まず、国家公安委員会委員、公害等調整委員会委員、日本放送協会経営委員会委員のうち小丸成洋君、浜田健一郎君、澤登久子君及び竹中ナミ君、労働保険審査会委員、社会保険審査会委員並びに中央労働委員会公益委員の任命について同意することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
まず、国家公安委員会委員に山本剛嗣君を、公害等調整委員会委員に松森宏君及び杉野翔子君を、日本放送協会経営委員会委員に浜田健一郎君、澤登久子君及び竹中ナミ君を、労働保険審査会委員に中嶋士元也君及び品田充儀君を、社会保険審査会委員に渡邉等君を、中央労働委員会公益委員に鹿野菜穂子君を任命することについて採決をいたします。 内閣申出のとおり同意することの賛否について、投票ボタンをお押し願います。
久子ちゃん殺しという名前でも呼ばれております。昭和二十九年三月発生でございますけれども、島田市で女児の幼稚園児が、六歳でしたか、久子ちゃん、誘拐されて、大井川の西側の土手で暴行された遺体となって発見された、こういう事件でございました。この事件で、当時二十五歳であった赤堀政夫が逮捕されて、自白をした、こういう事件でございます。
そんなことで、例えばレビン小林久子さんとか、あるいは山田文さんとか、こういう皆さんの学問的な努力もあるわけですが、この当事者同席という原則、これはこの仲裁法の中ではどういう評価になるんでしょうか。
○内閣官房副長官(松谷蒼一郎君) これまでは、今、委員のおっしゃったとおり、高橋久子判事のみでございました。しかし、ただいまのお話のように、男女共同参画社会の実現のためにも、できるだけこういった司法の場にも女性の登用が多くなっていくように私どもも願っているところであります。
例えば、バイオリニストの辻久子さんの文章でございますけれども、これは日経新聞に昔出た文章でありますが、こんなことを語っております。「私は、教え子たちに「音楽家である前に、魅力ある人間、より高い理想、希望を求める人間になるように」と言っている。音楽は生きもの、演奏する人間の内面、品性を映し出す。技術は大切だが、それだけでは音楽を完成させることは出来ない。」こういうふうな言葉でございます。
労働省の婦人局長をやられた高橋久子さん、今も在任中、だと存じますが、これなどは、いわば司法界のグラスシーリング、すなわち目に見えないガラスの天井を打ち破った初めてのことであったと思うわけでありますが、人事のことでありますから、そうだとかそうならないとかなるとか大臣の御答弁でお聞きできないかとは思いますけれども、新聞報道どおり松原現労政局長が事務次官になったとすれば、まさにこれは明治維新以来百三十年にして
○公述人(本田永久子君) 私もここに来るに当たって、病棟の看護婦さんやケースワーカーの方にお話を伺ってきました。 特に、お年寄りの長引く患者さんがいるところというと、脳卒中とか脳神経関係の病気で入院される方が多いんですけれども、そういう方たちは重症の場合だと三月ぐらいでほぼ病状が安定するところにいくということでした。
○公述人(本田永久子君) 私どものところで施行してからまだ一年数カ月にしかなっていないわけですけれども、実際に介護休暇として休業制度をきちんと長期にわたって利用した人は一人でした。あとはみんな一週間とか十日ぐらいとか、一カ月以上にわたってずっと利用したという人はいなかったんです。
公述人 宮城県中小企業 団体中央会副会 千葉 富雄君 長 兼専務理事 日本労働組合総 連合会宮城県連 松田 栄子君 合会女性委員会 事務局長 阿部とき子君 宮城県労働組合 総連合婦人部常 任委員 本田永久子君
ニューヨークでこういうお子さんたちの教育をしていらっしゃるカニングハム久子さんという方が日本へ参りまして、たまたま向こうへ行っていらっしゃる商社のお子さんたちがニューヨークの方であちらの検査を受けたりしたときに、おたくのお子さんはこういうお子さんですよと言われて、学習障害児だと言われて親が驚いた。ところが、そういうものの専門の先生がいらっしゃらないので、何とかして文部省から派遣してもらいたいと。
小・中・高校三十五人学級早期実現と生徒急減 期特別助成など私学助成の大幅増額に関する請 願(目黒吉之助君紹介)(第一四九三号) 同月十六日 幼稚園の学級定数の改善に関する請願(児玉健 次君紹介)(第一五八五号) 同(岩田順介君紹介)(第一七一二号) 同(長谷百合子君紹介)(第一七一三号) 私学助成の拡充、学級規模の縮小、父母負担の 軽減、障害児教育の充実に関する請願(鈴木喜 久子君紹介
まず、先生から最初にニューヨークの日本人学校につきまして、昭和六十三年十二月にニューヨーク臨床教育父母の会代表カニングハム・久子さんから当時の文部大臣あてに日本人障害児のための特殊教育プログラム設置に関する陳情があったというお話がございましたが、確かにそのように私どもも承知しているところでございます。
五年前でございますか、ニューヨークにお住みになっていらっしゃるカニングハム・久子さんという方がおりまして、この方が五年前にこちらに参りました。この人は、ニューヨークで特殊教育実践研究をされている方なんですけれども、この方に学習障害児、LD児というのを初めて私は聞いたんです、五年前に。そのときに文部省に伺いましたら文部省でもよくわからなかったんです。
今から五年前に、ニューヨークにカニングハム久子さんという方がいらっしゃいまして、この方が日本へもいらして、実はそれが今ニューヨークで大きな問題になっていると。と申しますのは、日本の商社の子供たちが向こうにいるわけですね。こういう症状を起こす子供がいるわけです。アメリカではもう既に十五、六年前からこういう研究をなさっていらっしゃる。それでこれはLD児だ、学習障害児だと認定されるんですよ。