2017-03-16 第193回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号
この交渉につきましては、日本側は久保卓也当時の防衛庁防衛局長でございますけれども、米側はカーチス海軍中将が担当をいたしまして、沖縄復帰後における自衛隊の展開の日本側計画に関し、両防衛当局間で必要となる調整事項について討議をいたしたところでございます。
この交渉につきましては、日本側は久保卓也当時の防衛庁防衛局長でございますけれども、米側はカーチス海軍中将が担当をいたしまして、沖縄復帰後における自衛隊の展開の日本側計画に関し、両防衛当局間で必要となる調整事項について討議をいたしたところでございます。
久保卓也さん、七〇年代、基盤的防衛力構想をつくられた方もまた同じような考え方の持ち主だったと思います。 政治家でいえば、吉田さんから宮沢喜一さんに至る、再軍備をしながらも、しかしそれは抑制的なものでなければならないということを実際に形にされました。
野党で長くきましたが、立場は皆さんと違うのだけれども、基盤的防衛力構想なんというものは坂田さんや久保卓也さんと話して、議論してきて一致するところは一致しているのだから、そういう意味でぜひここのところは中西長官にお考えをいただいて、少し北との関係だって、AWACSだのPACだのじゃなくて、そういうのはやめるならやめて、そして何とか国交回復を軌道に乗せるという、際なんだから、アメリカに任せておかないで、
○久保亘君 日本の防衛について、いろいろ見直し検討を行う上で、私はぜひ総理に心にとめていただきたいと思うことがございますが、それはかつて防衛庁の幹部でありました久保卓也さんが亡くなりました後、また法制局長官を務められた角田礼次郎さんが「追悼の言葉」の中にこういうことをお書きになっております。「政府も、一歩歩みよって、憲法の理想は非武装だ。
これは既に、今は亡き久保卓也さんがお出しになりました「平和時の防衛力」、後にややあいまいになって基盤的防衛力というふうに言われましたが、この考え方の中にやはりこういう問題についての解決のかぎの一つになるような問題、認識が含まれていました。
しかし、ひもとけばかつての防衛局長だった久保卓也さんが六百六十機、これはどこの国だって名前を出すことはないけれども、架空の国が日本に来意する場合の、欧州方面の兵力も回して最大に侵攻する航空兵力を六百六十機と想定したシミュレーションを行ったという事実があります。それ以来、状況が変わってくる、可変的だと防衛局長は今言われたが、そういうことが全然行われてないはずはない。
そういうものを受けて、これは「交通事故と交通警察」という、警察学論集の昭和四十四年十二月号に所載されました久保卓也さんという方の書かれた文章が載っておりまして、「警告し、指導したからといって、違反者は直ちに正しい運転者、歩行者になるとは限らない。しかし警察官は、飽くことなく警告指導をくり返し、ルールが慣習的に守られるように努力しなければならない。
ただ、例えば久保卓也さんなどが、一%論というものの当面の間というのは三、四年という了解があるといわれていると、制服組がいろいろなことで一%に抵抗するものだから、そんな人の話のような説明をしたことはあった模様でありますが、正式に当分の間とは三、四年であるなどという議事録はない。それから、まして、大綱の水準達成は三、四年だというふうに総理は言われておりますが、これは間違いでしょう。
○中曽根内閣総理大臣 それは当時、「防衛計画の大綱」の作成を中心になって策定した久保卓也君が、彼は事務次官でこの作成に努力してきたのでございますが、座談会で「防衛計画の大綱では、何年で目標を整備するのがその期間を示していません。防衛庁の関係者としてみれば、大体十年ぐらい後には整備を達成したいという考え方を持っているでしょう」そういうことを言っておるわけです。
つまり一%、五十一年三木内閣、坂田防衛庁長官、久保卓也防衛局長の連係プレーでこしらえた時代、これは一つの日本の歴史をつくっているという気がするのであります。 それは何かといいますと、憲法九条の戦力不保持の原則がございますから、戦力とは一体何だ、戦力論争と言われるものが久しく続いた。
かつて国防会議の事務局長をなさいました久保卓也さんが、日本は戦争にたえられないと喝破されたわけてあります。これは名言であります。日本は戦争はできないわけであります。日本の地理的条件、経済的条件、社会的条件、どこを考えたって日本は戦争にたえられない、戦争になればおしまいである、お手上げである。これは久保さんがおっしゃるように真実である。
それから元防衛庁の事務次官、亡くなられましたけれども、国防会議の事務局長をおやりになった久保卓也さんがこうおっしゃっています。「東アジア太平洋におけるソ連軍事力の増強と展開は、対米構想を念頭に置きつつ、グローバルにあるいは地域全体を対象としているものであって、特に対日指向というわけではあるまい。したがって、ここ数年来のソ連の軍事的脅威が特に高まったと見る必要はなかろう。」
これは猪木先生の文章ではございませんが、久保卓也君がそのころ書きました文章の中で「基盤的防衛力構想でやっていくと……目標防衛力の計算は必ずしも容易なものではない」と告白しておるのですね。結局そういうことになるわけです。 さて、猪木先生、この「防衛計画の大綱」は別表をつけておりますが、先生も先ほどまだ別表までに行っておらぬのだ、だからまず別表をと、こうおっしゃった。
○猪木参考人 久保卓也さんにお会いになったそうですけれども、病気で入院しておられて最近退院されたのですけれども、お会いになったのはごく最近ですか。
それは、私がここに持ってまいりましたのは久保卓也氏の「国防論」という一冊の本でございますが、この中に述べてあるところが実はいろいろ大来外務大臣の発想からするとうなずけるように思われてならないところがございます。
国 務 大 臣 (内閣官房長 官) 安倍晋太郎君 国 務 大 臣 (総理府総務長 官) 稻村左近四郎君 国 務 大 臣 (防衛庁長官) 金丸 信君 政府委員 内閣法制局長官 真田 秀夫君 国防会議事務局 長 久保 卓也
○政府委員(久保卓也君) 国防会議において、総理が民防の問題についても検討をするようにという御指示がありましたので、防衛庁なり私どもなりで検討を進めることにしておりますけれども、本来国防会議事務局としましては縦割りの権限を持っておりませんから、私どもの所掌になるわけではございません。
○政府委員(久保卓也君) したがいまして、三矢研究を関係者がどういうことを考えようとしておりましても、私どもとしてはこれから民間防衛の内容を、もし民間防衛を取り上げるならば、民間防衛の内容をこれから考えるべきもの、したがって、当面三矢研究の内容とは全く無関係に新しく考えてまいりたい、さように思っております。
田川 誠一君 出席国務大臣 文 部 大 臣 砂田 重民君 国 務 大 臣 (総理府総務長 官) 稻村佐近四郎君 国 務 大 臣 (防衛庁長官) 金丸 信君 出席政府委員 内閣法制局長官 真田 秀夫君 国防会議事務局 長 久保 卓也
出席国務大臣 文 部 大 臣 砂田 重民君 国 務 大 臣 (総理府総務長 官) 稻村佐近四郎君 国 務 大 臣 (防衛庁長官) 金丸 信君 出席政府委員 内閣官房内閣調 査室長 下稻葉耕吉君 国防会議事務局 長 久保 卓也
) 熊谷太三郎君 国 務 大 臣 (環境庁長官) 山田 久就君 国 務 大 臣 牛場 信彦君 政府委員 内閣官房副長官 森 喜朗君 内閣法制局長官 真田 秀夫君 内閣法制局第一 部長 茂串 俊君 国防会議事務局 長 久保 卓也
山田 久就君 国 務 大 臣 牛場 信彦君 出席政府委員 内閣官房内閣審 議室長 兼内閣総理大臣 官房審議室長 清水 汪君 内閣法制局長官 真田 秀夫君 内閣法制局第一 部長 茂串 俊君 国防会議事務局 長 久保 卓也
出席国務大臣 国 務 大 臣 (内閣官房長 官) 安倍晋太郎君 国 務 大 臣 (防衛庁長官) 金丸 信君 委員外の出席者 内閣法制局長官 真田 秀夫君 内閣法制局第一 部長 茂串 俊君 国防会議事務局 長 久保 卓也