1993-04-15 第126回国会 参議院 文教委員会 第5号
これは、恐らく日本社会に今悪夢のように燃え盛りつつある反主知主義、アンチインテレクチュアリズムの傾向の一環ではないかというようなことを言っておるわけです。
これは、恐らく日本社会に今悪夢のように燃え盛りつつある反主知主義、アンチインテレクチュアリズムの傾向の一環ではないかというようなことを言っておるわけです。
第三点は、将来高校入学試験にこういう五つの科目を前提として、いわゆる主知主義的な方法で、ただ一回のペーパー・テストでその子供の運命を決定するような高等学校の入学試験にとれに使うことがあると書いてありますが、これをお使いになるか、あるいはお使いにならないという現在の方針であるかをお答えを願いたいと思います。
原理的なものを観念的に並べればそれではや落ちつくというような、私の言葉で言えば一種の観念論、主知主義に堕落している。もしもほんとうに人間を守る、個人を守るということになると、世界歴史の現段階では平和、原水爆の基地化してはならない、これこそむしろ最も根本的な問題であります。
従ってそれに対して日本の教育学者は、また教育者は主知主義のワクを脱し切れんというような言葉を仰せになったり、あるいはまたこの知識で教えることは意味をなさんというようなことが私はいささかどうかと思うのでありますが、さらに御解明をいただきたいと思います。
○大谷贇雄君 先ほど日本の学者はあるいは教育者は主知主義を奉じておって学問のみに傾いておる、教科書に傾いておる、こういうお話があって、私はこれは日本中の教育学者あるいはまた、教育者の大多数に対して私ははなはだけげんなる気持と同時に、私は日本の教育者に対する一つの悔辱のような感を私自身は受けたのでありますが、日本の教育学者というものは、私はおそらくこの審議会のこの問題は、単なる主知主義でないこの徳教というものの