1955-07-30 第22回国会 参議院 本会議 第43号
ができない現状にあるが、用水が完成すれば九五%は二毛作田となり、反当二千円の地元負担がかかるとしても、麦三俵六千円の収入増は確実であるから、ぜひ実現してもらいたいと熱心な要望があり、次いで挙母の開拓村を経て本地原の開拓地を視察、高蔵寺町、小牧市、犬山市を経て中仙道に入り、今渡発電所を経て兼山ダムの用水取入口の現地を視察、愛知用水のダム方式であるロックフィール・ダムとして最初に竣工した可児川水系久々利村丸山防災
ができない現状にあるが、用水が完成すれば九五%は二毛作田となり、反当二千円の地元負担がかかるとしても、麦三俵六千円の収入増は確実であるから、ぜひ実現してもらいたいと熱心な要望があり、次いで挙母の開拓村を経て本地原の開拓地を視察、高蔵寺町、小牧市、犬山市を経て中仙道に入り、今渡発電所を経て兼山ダムの用水取入口の現地を視察、愛知用水のダム方式であるロックフィール・ダムとして最初に竣工した可児川水系久々利村丸山防災
従ってわれわれはこのロックフィル・ダムとして最初に竣工した可児川水系の久々利村の丸山防災、ダムを視察して参りました。愛知用水とは規模が小さいですが、りっぱに完成して、成績もよいようであります。 このダムも辞して多治見に南下し、中央線に沿って瑞浪を経て中津川に至り第一日の日程を終りましたが、この日の行程はえんえん六十里、実に二百五十キロに達する現地調査でありました。