2021-06-08 第204回国会 参議院 環境委員会 第15号 この問題の本質は、他の津波被害者と違い、原発事故による捜索打切りがなされたこと、そして、その場所が中間貯蔵建設予定地にされたことです。津波被害が三月十一日午後三時三十六分、翌朝三月十二日の午前八時、つまり十六時間が経過したときに全町避難となりました。その後、立入禁止区域となり、父親も我が子を捜しに入ることは許されませんでした。 森まさこ