1954-10-21 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第45号
あるいは副低気圧が現われてその中間であつたかもしれないが、いずれにしても台風の目が過ぎて第一象限から第三象限になれば、第三象限は一番強いのだ、こういうことを保安庁では言つておりますが、そうすると十七時三十分ごろ中沢運輸部長が運航司令室から気象台に問い合せたときに、台風は江差沖北方を通つている、函館はその南に当る、楽観は許さないというふうな情報を北海道の総支配人のところへ、ほかのいろいろな情報とともに
あるいは副低気圧が現われてその中間であつたかもしれないが、いずれにしても台風の目が過ぎて第一象限から第三象限になれば、第三象限は一番強いのだ、こういうことを保安庁では言つておりますが、そうすると十七時三十分ごろ中沢運輸部長が運航司令室から気象台に問い合せたときに、台風は江差沖北方を通つている、函館はその南に当る、楽観は許さないというふうな情報を北海道の総支配人のところへ、ほかのいろいろな情報とともに
四日午前中は青函鉄道局長室に青函鉄道局の現場関係者、すなわち今村無線区長、田添船員区長、小川駅長、西田さん橋長、山本同助役、工藤電務区長を、午後は高見青函鉄道管理局長、森船舶部長、川上海務課長、成田運航司令、中沢運輸部長をそれぞれ招致いたしまして、事件発生当日の気象判断並びに気象台との連絡、各連絡船、特に洞爺丸の出港前後の状況、関係部局、現場間の指令連絡、浅井総支配人等の動静等について説明を聴取した
中沢運輸部長、川上海務課長は登庁しておつたが、浅井総支配人らの応接にかかり切りであつた。そして午後六時ごろに高見局長は帰宅しておつた。事件の発生直前、出航するときに帰宅しておつた。そして午後十時ごろ洞爺丸からのエンジン元機械使用不能という連絡を受けながら、局員は局長に連絡せず、適切な処置をとることができなかつた、こういうようなことが報道せられておるわけであります。