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8件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1955-05-23 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第11号

唐沢説明員 紫雲丸中村船長は、生き残りました甲板部員に聞いてみますと、やはりあのときにはずっとレーダーをのぞいておりました。そうしてかじの命令をしておるのです。結局運転士の方も相手船の霧笛が右の方に聞えたので、船長、右の方に聞えますねと言ったら、ああそうだそうだと言いながらずっと見ておった。

唐沢勲

1955-05-19 第22回国会 参議院 運輸委員会 第7号

説明員篠田寅太郎君) 中村船長の経歴を簡単に申し上げます。中村船長は大正八年十二月に国鉄の職員になっております。それから宇高航路船長になりましたのは昭和十七年の七月でございます。そうして今回の事故を起しました。年齢は五十四歳でございます。なお家族数、本俸のことは一応今わかっておりませんので、なお調べましてから後ほどお知らせをいたしたいと思います。

篠田寅太郎

1955-05-17 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第10号

両船ともレーダーを発動しておったことは、紫雲丸二等運転士鈴木秀夫(二十九才)第三宇高丸三宅船長及び同二等運転士杉崎敏(二十九才)の陳述にもある通り明らかでありまして、第三宇高丸三宅船長は『六字五十一分まで映像を見ていたが、紫雲丸既定進路を航行していたごとくであり、進路を変える様子はなかった』と述べておりますが、一方紫雲丸の方は三等運転士鈴木秀夫は『中村船長だけが終始レーダーを見ていて、二等運転士

加藤常太郎

1955-05-16 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第9号

どう考えても常識で判断のできないような衝突をしておるということが、相手方の中村船長が死んでおりますから、その点ははっきりしません。けれども大体国鉄側に責任があったということの裏書きになる資料を握ってくることができました。この点補足いたしまして、詳しいことは明日までの委員会に、文書によって各委員のお手元に配付したいと存じております。

青野武一

1955-05-16 第22回国会 参議院 運輸委員会 第6号

それは、先ほど重盛委員質問の中に、事故の真因というものは、やはり中村船長が殉職をされておりまして、どうして左かじを命令したかというその点が、これはおそらく海難審判所で審判されましても、この点はやはり不可解のままに過ぎはしないかという考えを私たちは持っておるんです。そこでまた大臣は、速度の点も確かに一つの誘因だということで、私たちもその通り考えております。

内村清次

1954-04-23 第19回国会 衆議院 労働委員会 第21号

それに対して、各船長ではございませんが、中村船長が、脅迫した、こういうことを申されて、地労委公述書に書いておられますが、そのときの公述内容も一応雰囲気といたしまして、地労委の記録をごらんになつたらよくわかると思います。それから十一月十八日の協定書、それに対しての解釈は、——その間に抗議文あるいは決議文をつきつけられました。

松重善三

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