1976-10-13 第78回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第3号
○中曽説明員 昭和四十六年、七年にかけまして航空事故が頻発いたしまして、私どもとしましては、空の安全を一層確保しなければならないという見地に立ちまして、それまで、いわゆる航空路監視レーダーというのはせいぜい箱根ぐらいしかなかったのでございますけれども、この航空路監視レーダーというものを全国ネットワークでつくりまして、全国をレーダーの監視のもとに置く、ネットワークのもとに置くという構想のもとに、昭和四十六年度
○中曽説明員 昭和四十六年、七年にかけまして航空事故が頻発いたしまして、私どもとしましては、空の安全を一層確保しなければならないという見地に立ちまして、それまで、いわゆる航空路監視レーダーというのはせいぜい箱根ぐらいしかなかったのでございますけれども、この航空路監視レーダーというものを全国ネットワークでつくりまして、全国をレーダーの監視のもとに置く、ネットワークのもとに置くという構想のもとに、昭和四十六年度
○中曽説明員 このレーダーと申しますのは、航空路を飛んでおります飛行機の管制をやりますためのレーダーでございまして、もちろん飛行場のそばにもいわゆるターミナルレーダーというレーダーがございますけれども、それとは全く別のものでございます。航空路を飛びます飛行機の監視をやりますレーダーでございますので、私どもはそういうことは全く考えておりません。
○中曽説明員 エンジンの設計それ自身について申し上げますと、うしろのエンジンも両側のエンジンもあらゆる飛行状態に応じましてとにかくどんな飛行をやりましてももつというふうな前提のもとに設計がしてあるわけでございます。
○中曽説明員 まず先生おっしゃいました前段のほうでございますが、昨年の夏ごろでございますけれども、ロールス・ロイスにおきましてエンジンのテストを工場の中でやっております最中に、今回と同じ場所にクラックが入ったという事例が実はあったわけでございます。
○中曽説明員 この問題につきましては、実は先ほど航空局長のほうから御答弁申し上げましたように、本件の連続二件の故障が起きます前までは、正直申しましてこういった問題につきましての情報不足があったことは事実でございます。ただいま先生がおっしゃいましたマイアミの事故のことは承知しておりました。