1993-03-11 第126回国会 参議院 予算委員会 第4号
そうしたら自民党が、中曽根首相時代、民活、内需拡大路線でオフィス構想浮上。国土庁、建設省が開発構想。それで、昭和六十一年秋、「当時は副総理だった金丸さんも臨海部を視察」と。「国土庁も都に来て、「早く都の構想をまとめてくれ。金丸さんに報告しないといけない」とせっつくようになった。 金丸さんの秘書官から築地の料理屋に呼ばれた都の幹部もいて、「ぼやぼやするな」とけしかけられた。」
そうしたら自民党が、中曽根首相時代、民活、内需拡大路線でオフィス構想浮上。国土庁、建設省が開発構想。それで、昭和六十一年秋、「当時は副総理だった金丸さんも臨海部を視察」と。「国土庁も都に来て、「早く都の構想をまとめてくれ。金丸さんに報告しないといけない」とせっつくようになった。 金丸さんの秘書官から築地の料理屋に呼ばれた都の幹部もいて、「ぼやぼやするな」とけしかけられた。」
でも今までの報道としまして、これは率直に申し上げたいのですが、中曽根首相時代の臨教審委員選任に当たって、中曽根首相が江副をぜひ委員にというごり押しをして当時の話題になったことがあるという報道もありますし、また、江副氏は官邸に出入りして中曽根氏に気に入られていたんだなどと、官邸側から江副氏の名前が挙がっていたことを報道しておる向きもたくさんあります。