2021-05-31 第204回国会 参議院 決算委員会 第8号
同調書(その2)の中曽根康弘元総理の内閣・自民党合同葬儀経費について、コロナ禍での八千二百七十四万九千円の支出に対する国民の批判に加え、全国の国立大学や自治体などへの弔意要求が内心の自由に関わるとする批判もあり、この支出は承諾できません。
同調書(その2)の中曽根康弘元総理の内閣・自民党合同葬儀経費について、コロナ禍での八千二百七十四万九千円の支出に対する国民の批判に加え、全国の国立大学や自治体などへの弔意要求が内心の自由に関わるとする批判もあり、この支出は承諾できません。
同調書(その2)の中曽根康弘元総理の内閣・自民党合同葬儀経費に対する八千二百七十五万円の支出は、コロナ禍での合同葬儀、過去最高の経費に対する国民、住民の皆様の批判や、加えて、全国の国立大学、教育委員会、自治体への弔意要求等の問題に対する識者からの批判もあり、この支出は承諾できません。
「「政府が行うのは形式的任命にすぎません」(中曽根康弘首相) 「実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右することは考えておりません」(手塚康夫政府委員) 「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない」(丹羽兵助総務長官)」。非常に明確です。 これは総理にお聞きします。 現在、政府は、日本学術会議法のこの法解釈を維持しているんですか。イエスかノーか。法解釈を維持しているのかどうか。
巻頭の辞は、あの中曽根康弘先生が書かれております。 それによりますと、今我々が普通使っております携帯電話も、当時、まだ普通の一般家庭に電話が余り普及していない中で、ポケットに持って電話が使えるようになるというようなことをこちらにもう既に書いてあるんですね。
だあっといって、祝電が、内閣総理大臣中曽根康弘、郵政大臣、大蔵大臣、外務大臣は安倍晋太郎さんです、自民党最高顧問は元総理大臣福田赳夫さん、日本民間放送連盟会長とか読売新聞社社長とか朝日新聞社社長とか、つまり、そうそうたるメンバーが勢ぞろいしているわけであります。 森本社長にお聞きしたいんですが、こういう方が介在されているんです。
米寿を祝う会というのをやったそうなんですが、開会の辞は福井銀行頭取、発起人代表が福井県知事、そして衆議院議員代表福田一さん、参議院議員代表熊谷太三郎さん、祝電披露は、内閣総理大臣中曽根康弘、郵政大臣、大蔵大臣竹下登さんと並んで外務大臣安倍晋太郎さんまで出てくる、自民党の最高顧問福田赳夫さんとか、日本民間放送連盟会長、読売新聞社社長、朝日新聞社社長など、まさに日本の政財界のトップが勢ぞろいしている。
〔総員起立〕 参議院は 五十有余年の永きにわたり 衆議院議員として わが国 民主政治発展のため力を尽くされました 元内閣総理大臣従一位大勲位中曽根康弘君の長逝に対し つつしんで哀悼の意を表し うやうやしく弔詞をささげます ─────・─────
令和二年三月六日(金曜日) 午前十時一分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第六号 ───────────── 令和二年三月六日 午前十時 本会議 ───────────── 第一 所得税法等の一部を改正する法律案(趣 旨説明) ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、元内閣総理大臣中曽根康弘君逝去につき哀 悼の
元内閣総理大臣中曽根康弘さんは、昨年十一月二十九日逝去されました。誠に痛惜の極みであり、哀悼の念に堪えません。 つきましては、この際、院議をもって元内閣総理大臣中曽根康弘さんに対し弔詞をささげることにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
本日の議事は、最初に、元内閣総理大臣中曽根康弘君逝去につき哀悼の件でございます。弔詞をささげることにつきまして異議の有無をもってお諮りいたしました後、議長は弔詞を朗読されます。その際、一同御起立をお願いいたします。 次に、日程第一 所得税法等の一部を改正する法律案の趣旨説明でございます。
○事務総長(岡村隆司君) 中曽根康弘元内閣総理大臣には、昨年十一月二十九日、逝去されました。謹んで御報告いたします。 本委員会の理事会におきまして協議の結果、お手元にお配りしてございます案文の弔詞をささげることに決定いたした次第でございます。
○委員長(松村祥史君) 次に、元内閣総理大臣故中曽根康弘君に対する弔詞に関する件を議題といたします。 事務総長の報告を求めます。
私ごとで恐縮ですけれども、私の祖父、中曽根康弘が昨年十一月に百一歳で旅立ちましたけれども、そばで見ておりまして、やはり、百歳を超えても、週に何回かは事務所に行って、会議に出て発言をしている。自分で食べて飲んで、そして人とコミュニケーションをとっている。亡くなる二日前に病院に行ったときも、新聞をずっと読みながら自分で線を引いている。
令和二年二月十三日(木曜日) ――――――――――――― 令和二年二月十三日 午後一時 本会議 ――――――――――――― ○本日の会議に付した案件 元自由民主党総裁前議員中曽根康弘君逝去につき弔詞を贈呈することとし、弔詞は議長に一任するの件(議長発議) 国家公務員倫理審査会会長及び同委員任命につき同意を求めるの件 情報公開・個人情報保護審査会委員任命につき同意を求
〔総員起立〕 元自由民主党総裁前衆議院議員従一位大勲位中曽根康弘君は 本院議員として在職五十六年九月に及び この間常に憲政のために尽力し 特に院議をもってその積年の功労を重ねて表彰され しばしば国務大臣の任につき 三たび内閣総理大臣の重責をにない およそ五年の長きにわたり国政を統理されました 君は 終始行政の改革と財政の再建に心魂を傾け また世界の平和と繁栄に力をいたし 国民生活の安定とわが国の
元自由民主党総裁前議員中曽根康弘君は、昨年十一月二十九日逝去されました。痛惜の念にたえません。謹んで御冥福をお祈りいたします。 つきましては、中曽根康弘君に対し、弔詞を贈呈いたしたいと存じます。 弔詞は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
大島 理森君 副議長 赤松 広隆君 事務総長 岡田 憲治君 ――――――――――――― 委員の異動 二月十日 辞任 補欠選任 遠藤 敬君 藤田 文武君 同日 辞任 補欠選任 藤田 文武君 遠藤 敬君 ――――――――――――― 本日の会議に付した案件 中曽根康弘君逝去
――――――――――――― 元自由民主党総裁前衆議院議員従一位大勲位中曽根康弘君は 本院議員として在職五十六年九月に及び この間常に憲政のために尽力し 特に院議をもってその積年の功労を重ねて表彰され しばしば国務大臣の任につき 三たび内閣総理大臣の重責をにない およそ五年の長きにわたり国政を統理されました 君は 終始行政の改革と財政の再建に心魂を傾け また世界の平和と繁栄に力をいたし 国民生活の
まず、中曽根康弘君逝去につき弔詞贈呈の件についてでありますが、昨年十一月二十九日、中曽根康弘君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元に配付の案文のとおりとし、本日の本会議においてその贈呈を決定するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
そうすると、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三、六人いるんですね。大関になって二場所続けて優勝すると横綱になりますよね。ですから、総理大臣になった段階で大関になった、そう考えれば、まさに今、安倍晋三さん、安倍晋三総理は横綱ですよ。
もう一つの私の原点は、私の政治の恩師の中曽根康弘先生との出会いでございます。 今から、古くなりますが、約五十五年前、昭和四十年、私が早稲田大学の三年生のとき、雄弁会の幹事長を務め、その夏、大隈講堂で河野一郎先生の追悼演説会を開催いたしました。 このとき、河野派を継承いたしました中曽根先生のお言葉が、その颯爽とした雄姿とともに、今も私の脳裏に焼き付いています。
このミャンマー協会というのがまたまた大きくて、資料の五を見ていただけると役員名簿というのがあるんですけど、代表理事に元郵政大臣の渡辺秀央さんとか、名誉会長に中曽根康弘元総理、最高顧問に麻生太郎副総理などなど、もう本当に永田町や霞が関では泣く子も黙るラインナップみたいな話だと思うんですけどね。
当時は中曽根康弘通産大臣でありまして、当時の国会答弁で、なぜ庁をつくるのかという質問に対して、火力、水力、原子力あるいは地熱発電等を含めた日本の総合エネルギー対策を推進する一元機関として考えてやったことというふうにおっしゃっています。 それともう一つ、やはり局長よりも外局の長官の方がこれは国家行政組織法上極めて大きい権限を持っている。
日本がGHQの占領下にあり、マッカーサー司令官の許可を得て、戦後初めて出国を許された日本の大型訪問団、その中には、最年少の国会議員として、後の中曽根康弘元総理も参加しておられました。中曽根弘文先生の御配慮で、九十八歳の中曽根総理もこの番組の中で当時を振り返っておられました。この一行の中に、広島から浜井信三広島市長、楠瀬常猪広島県知事、山田節男参議院議員が参加をしておられました。
岸信介、田中角栄、大平正芳、中曽根康弘、竹下登、橋本龍太郎、小泉純一郎、共に私の尊敬する総理大臣経験者です。自民党政権のほとんどの総理が集団的自衛権は憲法上行使できないと述べてきました。砂川判決が集団的自衛権を認めていたのなら、歴代総理は憲法違反の発言を繰り返していたことになります。 昨年二月十二日の衆議院予算委員会で安倍総理は、解釈変更による集団的自衛権の行使容認についてこう述べました。
佐藤栄作元総理の、自衛隊のシビリアンコントロールは、国会の統制、内閣の統制、防衛庁内部における文官統制、及び国防会議の統制による四つの面から構成されているという答弁、中曽根康弘元総理の防衛庁長官時代における、私は内局による統制というのは必要だろうと思っているんですとの答弁や、竹下登総理の答弁もあります。
当時の原子力委員会の委員長は中曽根康弘氏であり、当時のこの法案の策定に当たった部会長は、民法の大家である我妻栄東大教授であられました。
一九八三年、昭和五十八年ですけれども、一月の衆議院本会議で、当時の中曽根康弘総理大臣は本会議の中で、「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった。」というふうに述べられています。