1965-09-14 第49回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第2号
中心附近におきます最大風速は五十メートル、まあ先ほどごらんいただきましたように、この二十四号は、非常に等圧線の輪の半経が大きいので、これは中心の気圧こそまだ十分下がっておりませんけれども、今後大型の台風として発達いたす公算が非常に強うございます。
中心附近におきます最大風速は五十メートル、まあ先ほどごらんいただきましたように、この二十四号は、非常に等圧線の輪の半経が大きいので、これは中心の気圧こそまだ十分下がっておりませんけれども、今後大型の台風として発達いたす公算が非常に強うございます。
上陸時の台風の規模、勢力は、中心気圧九百五十ミリバール、中心附近の最大風速五十メートル、半径百キロ以内は二十五メートル以上の暴風雨、降雨量百五十ミリから二百ミリであります。
次に、今次の静岡県を中心に大災害が発生しました二十二号台風について申し上げますと、この台風は、御承知のように中心示度が八百八十ミリバール、中心附近の最大風速は七十メートルに達する最近まれに見る超大型の台風であったのでございます。
台風五号は八月十八日鹿児戸県阿久根附近に上陸いたしまして、中心示度は九百四十ミリバール、中心附近の最大風速五十メートルの強度を以て大分、熊本県境山脈を越え、宮崎県西臼杵郡を通り、豊豫海峡へ抜けて通過いたしました台風でございます。本台風による降雨量は、宮崎、大分県境重岡観測所におきましては十九日の日雨量が四百八十七ミリ、十七日よりの連続三日間の雨量が九百八十四ミリとなつております。
中心の位置をきめるのに南方定点と、それからマーカス島、硫黄島、それから鳥島、西のほうで名瀬、こういう幾つかの点できめますが、先ほども申しましたように、その列島が千キロも離れておりますので、中心附近に何もない、そういう意味で南方定点の資料は非常な重要性を持つております。
この台風は九月十七日カロリン群島のトラツク島附近に発生したものでありまして、中心示度は九百十五ミリバール、中心附近の最大風速は六十メーター、毎時二十五キロ乃至二十キロの速度で本土に接近いたしまして、二十五日の十三時に至り室戸岬南方約百八十キロの地点で向を北東に転じまして、潮岬をかすめて伊勢湾を横切り、十七時四十分頃には三重県宇治山田附近に上陸したのでございます。
次に鹿児島県につきましては、本台風は十三日午前七時三十分には種子島中部に迫り、中心示度九百七十ミリバール、毎時十キロをもつて北上し、十二時ころ大隅半島、内の浦に上陸、中心示度九百七十ミリバール、時速二十キロ、中心附近の最大風速三十三メートルをもつて志布志、都城を経て北上したのであります。
当時の気圧は九百六十ミリバール、中心附近の最大風速は毎秒四十メートルで、昭和九年の室戸台風に比すれば、その強度はやや劣つていますが、進行速度が遅かつたために、強風の持続時間が長く、かつ大阪湾通過のときが満朝時にほぼ一致いたしましたため、海岸堤防を破壞し低地に浸水し、人口稠密なる阪神地方に甚大なる損害を與えたものであります。
今回の台風はその風速の非常に強かつた割合に中心附近におきましては殆んど雨を伴わなかつたのでありまするが、その両側におきましては例えば徳島、和歌山その他若干の地方におきまして局地的に豪雨をもたらしておるのであります。従つて今回の土木災害につきましてはその特徴が現われておるのでありまして、徳島におきましては勿論風によりまする海岸の堤防の損壊もありまするが、河川における災害も相当に出たのであります。
ただ今回の災害は、中心附近においては雨が非常に少かつたものですから、豪雨による被害は比較的なかつたのでありますが、この台風の伴いましたところの高潮によりまして、大阪並びに兵庫附近において甚大なる被害を及ぼしたのであります。中心におきましてはそうでありましたが、中心から若干離れました所におきましては、相当の豪雨も伴いました。
それから二十日、二十一日の台風によつて中心附近がやられた。更にその後破壞された後に又更に二十八日に相当の降雨があつた。それから場所によりますと、更に二日かと五日あたりも雨が降つたということで災害が激増して参つたのであります。