2021-05-25 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第13号
○副大臣(中山泰秀君) 平成十五年九月の二十六日に、内閣総理大臣小泉純一郎殿宛てに、外務大臣川口順子、財務大臣谷垣禎一、経済産業大臣中川昭一、テロリスト等に対する資産凍結等の措置について、標記について別紙のとおり閣議の了解を求めます、日本国政府。
○副大臣(中山泰秀君) 平成十五年九月の二十六日に、内閣総理大臣小泉純一郎殿宛てに、外務大臣川口順子、財務大臣谷垣禎一、経済産業大臣中川昭一、テロリスト等に対する資産凍結等の措置について、標記について別紙のとおり閣議の了解を求めます、日本国政府。
○中山副大臣 平成十五年の九月の二十六日、内閣総理大臣小泉純一郎殿宛てに、外務大臣川口順子、財務大臣谷垣禎一、経済産業大臣中川昭一、テロリスト等に対する資産凍結等の措置について、標記について、別紙のとおり閣議の了解を求めます、日本国政府。
ですから、水問題についてはずっと関心を持っておりまして、中川昭一先生が初めて当選をしたときに、私と、それから農水省の、後で岡山の農政局長をやりますけれども、農業の専門家と、それから、財政として、その後大蔵省の事務次官になりました勝栄二郎君と四人で、よく水問題を中心に勉強会をやったことがあります。
そして、そのときに、まあ昔は、昔はというか、そのとき、虚偽答弁したことで、もう亡くなってしまわれましたが、中川昭一大臣は、国会で、予算委員会で、予算委員会だったと思うんですが、正式に謝罪をし、処分をしました。今は虚偽答弁したって何かまた次つじつま合わせばいいやみたいなことになっていてひどい話ですが、かつては、虚偽答弁したら大臣がきちっと謝罪し、訂正し、そして処分もしたんですね。
少し駄弁を弄しますけど、私が一番尊敬した先生は中川昭一先生でございまして、私、今無派閥なんですが、派閥を出た理由も先生がいなくなったことも大きな原因の一つなんですけれども、その先生が九九年にこの基本法をお作りになられて、そのときの思い、ですから、八八年の牛肉・オレンジ自由化、それから九三年のガット・ウルグアイ・ラウンド、それにその先に見込まれていたWTO農業交渉、こういうことを踏まえた上で国際環境の
一九六一年の農業基本法のときから、私は六〇年生まれなんですけれども、随分時代が流れて、中川昭一先生が九九年につくられたときに初めて法律の中に食料安全保障という言葉が法律用語として入って、それから、国民に対して、先生おっしゃったように、食料安全保障とかそういうものがメッセージとして出された。 大変、あれから二十年以上たっておりますけれども、すばらしい内容だと思います。
一九九九年、私が尊敬して、もうお亡くなりになりましたけれども、中川昭一先生が基本法をおつくりになって、それでこの十五条の三項の項目をお書きになったわけでありますけれども、やはり、独立国家である日本は、最終的には食料自給率についてしっかり意識をしないと、これは農家の問題だけではなくて国民の意識の問題だという御提言をされたというふうに私は理解をいたしております。
委員がおっしゃったように、一九九九年に、私が尊敬しており、もう亡くなりましたけれども、中川昭一先生が基本法をつくられて、その翌年に最初の基本計画がつくられて、そのときにはウルグアイ・ラウンド交渉が行われた時期でもあって、大変国民の関心が、初めて一九六〇年に農業基本法ができたときとは違って、外国からの影響で日本の農業にも大きな影響が及ぶんじゃないかという意識がこのタイミングで生まれて、その後、御存じのように
そのときに、我々が集められて、局長が中川さんで、自民党の主査が中川秀直さんで、副主査が中川昭一さんで、三中川の体制だったんですけれども、そこで、入口、中間、出口の切離しということをやった。大蔵省の中でそういった企画立案をやっていたのが高橋洋一さんであります。
平成十八年二月二十七日の衆議院農林水産委員会で、今は亡き中川昭一農林水産大臣が、WTOのドーハ・ラウンドをめぐって、「この分野だけは決めるけれどもこの分野は決めない、いわゆるアーリーハーベストはやらないという大原則があります。」と答弁されておられます。 総理にお伺いします。
先ほど官房副長官もしていたしとおっしゃったけれども、例えば中川昭一先生。私、調べてみました。二百九回、発言されています。私、覚えていますよ。憲法の調査にもヨーロッパに一緒に行きました。私と中川先生は全く憲法の考え方は違う。でも、議論を闘わせてきました。
中川昭一農水大臣。当時一番問題になったのは、一兆円をなぜその国有林野特会に残すのか。五十年掛けて返すというスキームだったんですけれども、今大臣からお話あったとおり、その直後、八年間でもう莫大にまた二千億円以上増えたという形でありました。 私は、その当時、思い切ってこの一兆円を全て一般会計処理に承継をして、そして利益が出た段階で一般会計に繰入れをする、こういう形を取るべきだと。
世耕大臣の言わば大先輩でいらっしゃる中川昭一経産大臣の当時に、この中川大臣がやっと調査に乗り出そうとしたところ、実はいろんな圧力があったと。
かつては中川昭一先生や武部勤先生が大臣を務められて、世代交代が進んで、北海道の第一次産業は吉川先生にみんなおんぶにだっこという状況になりました。かつて、参議院にも北修二先生とか中川義雄先生とか、第一次産業を専門に、中心にやっておられる大先輩がおられましたけれども、残念ながら、与党席に、自由民主党の参議院議員に農政に専門にやっていただいている先生はおられない。
多分、中川昭一ジュニアは非常に立派な、いい子に育つんだろうと思います、そういう経験をしているので。ですから、こういうことをやっていただきたいと思います。 だから、お約束いただきたいと思います。来年は、農家民宿、漁家民宿促進で、農山漁村体験というのも含めた法律をぜひ、一年間検討して、やっていただきたいと思います。やったらできるんです。そうしたら、全然違いますよ。
中川昭一農林大臣のころ、息子さんが小学生、その小学生が高知県土佐清水に宿泊するということを昭一大臣から聞きまして、何で高知県に来るの、こう言いますと、慶応義塾幼稚舎のいわば授業で、幼稚舎の全員が漁村に行って宿泊するということ、船で太平洋をずっとめぐっておられました。
○木原副大臣 今議員が御指摘のありましたとおりで、当時、麻生総理のときの外為特会からIMFへの融資の件でございますけれども、こちらは特別会計法及びIMF等加盟措置法という、この二つの法律を根拠として、当時、中川昭一財務大臣だったと思いますが、その財務大臣の権限に基づいて行ったものでございます。
○公述人(吉川広司君) その件につきましては、和牛というのは、ちょっと時間があれかもしれぬけれども、もう昔、相当前に、中川昭一大臣のときに、ヨーロッパの方に行って和牛のステーキを食べさせられたと。
しかし、私は、この東シナ海のガス田に関して、元経産大臣の、亡くなられた、私も尊敬しております中川昭一大臣が東シナ海の係争の海域での試掘を帝国石油に対して認めたんです。ところが、内閣改造で大臣が中国寄りの方に替わりまして、名前は言うと幹事長とすぐばれますので、大臣が替わった途端にその試掘を駄目だ、やっちゃと、もう中国に譲れというような態度で、日本の政府の態度が変わったんですね。
あれをもう一回やるのが日本の役としてはしんどいという気がありましたので、当時、IMFに一千億ドル、約十兆円の資金を貸与します、貸しますという話をして、アジアのいわゆる中小新興国を金融的に助ける仕事をIMFでという話を、ストロスカーンという当時余り評判のよくない専務理事がいたんですけれども、この人に頼んでやってもらって、時の中川昭一財務大臣と二人で当時いろいろやらせていただいたのですけれども、そのすぐ
中川昭一さんが農林大臣のときに、アメリカに行くときに是非一言言ってくれと、先生、トウモロコシをエタノールに作るなんていうのはけしからぬと一言言ってくれというふうにちょっと要望したことがありますけれども、麻生大臣も機会がありましたら、是非、トウモロコシを無理してエタノールなんかに作らないでくださいと、そちらの方が世界的に見たらかなりハッピーになりますということは一言言っていただければ有り難いというふうに
○大西(健)委員 総理、総理の盟友でもあった中川昭一先生、草葉の陰で今回のことをどう思っておられるんでしょうか。 今回のことというのは、大臣が交代したという役所にとっての一大事のときに政務官が不在である、そして、宮内庁にも、あるいは関係者にもさまざま煩わせている、その片や一方で宴会に出ていた。これは、民間でいうと、社長交代の重大時のときに役員が宴会に行っていました、こういう話なんですよ。