1969-06-24 第61回国会 衆議院 内閣委員会 第35号
○林説明員 ただいま中川入管局長からお話しございましたように、第一回目は昭和三十二年の十一月ごろにロンドンで査証の申請をしまして、当時はまだ日カ間に査証免除取りきめがございませんので、本件は中央の外務省にまいりまして、外務省として法務省入管当局と協議した結果、有効な旅券を持って、しかもこの際は短期視察というふうな名目でございましたので、当時は特定査証百八十日でもって入国査証を与えました。
○林説明員 ただいま中川入管局長からお話しございましたように、第一回目は昭和三十二年の十一月ごろにロンドンで査証の申請をしまして、当時はまだ日カ間に査証免除取りきめがございませんので、本件は中央の外務省にまいりまして、外務省として法務省入管当局と協議した結果、有効な旅券を持って、しかもこの際は短期視察というふうな名目でございましたので、当時は特定査証百八十日でもって入国査証を与えました。
まず、最初に前の田中さんが法務大臣のころ、四十二年の十月三日から七日まで中川入管局長が一緒に台湾に行かれましたね、この目的は何だったのでしょうか。
○国務大臣(西郷吉之助君) そのころに、いまお話のとおり、田中前法相と中川入管局長が台湾に参りました。別段の意味はなかったようでございますが、中川君ここにおりますので、当人から御答弁させます。
○猪俣委員 中川入管局長参られましたが、これは外務省の条約局長でないと責任ある答弁はできないかもしれませんが、あなたは外務省から来た方だと思うので、お聞きします。一九五一年の七月、ジュネーブで作成され、五十四カ国の人が入った、難民の地位に関する条約というのがあるのだが、日本はこの条約に入っておらない。
というのは、何でもかんでも二人、これでやっていけるか、これに対して中川入管局長の御答弁によりますと、少なくとも官庁である限りは一人というわけにはいかないので、せめて二人いなければ官庁の体をなさないから、とりあえず二人ということで役所をつくり、そうして充実をはかっていこうということでやってきているということです。
先ほど中川入管局長さんが、いみじくも、役所である限りは、これは一人というのはどうも役所じゃない、最低二人にしなければいかぬというので、仕事の度合いは繁閑があるだろうけれども、ともかく二人出張所をつくっておきたいのだ、こういうお話がございました。
中川入管局長が中心におなりになって、とにかく外務省と打ち合わせをされて、協定打ち切り後に北朝鮮の配船を認めるという趣旨の新聞発表等が出ているのですけれども、どうもわからない点だらけなんです。どういう趣旨なのか、新聞発表だけでなくて、少し詳しく御説明をいただきたい。
○田中国務大臣 重要な御質問でございますので、中川入管局長からお答えいたします。