1963-11-29 第44回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号
翌日には、再び大牟田市役所で、三池労働組合、三池新労働組合、三池職員組合、三井鉱山会社の順に災害事情並びに対策等につき見解を聴取し、福岡県大牟田市、荒尾市からの要望事項を聞き、また、福岡鉱山保安監督局長から再度災害状況の説明を聞いた後、重軽傷者が収容されている天領病院、中島外科医院、荒尾市民病院をたずねて患者をお見舞いしたのであります。
翌日には、再び大牟田市役所で、三池労働組合、三池新労働組合、三池職員組合、三井鉱山会社の順に災害事情並びに対策等につき見解を聴取し、福岡県大牟田市、荒尾市からの要望事項を聞き、また、福岡鉱山保安監督局長から再度災害状況の説明を聞いた後、重軽傷者が収容されている天領病院、中島外科医院、荒尾市民病院をたずねて患者をお見舞いしたのであります。
終わって、今回の負傷者の収容されている天領病院、中島外科医院、荒尾市民病院をたずね、入院患者をお見舞したのであります。 今次の災害は、四百五十名の死者、その後病院で死亡した者を加えると、今日までに四百五十六名の死者を出し、数百名の重軽傷者を出した戦後最大の炭鉱災害で、石炭合理化計画進行中に、わが国屈指のビルト鉱三池に起こったという点で、きわめて注目すべきものであります。