2006-05-11 第164回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号
小学校時代も中学校時代も高校時代も、麦踏みをし、そして芋の苗を植えて、あの日本海の寒い寒い風を受けながら、私は母の背中をいつも見ながらずっと農業をやってきました。私は、今でも母の背中が大好きです。母の背中を見ると、いつも農業をしておったときの姿が浮かぶからです。 ロンドン、パリ、ニューヨーク、いろいろな国を回りました。
小学校時代も中学校時代も高校時代も、麦踏みをし、そして芋の苗を植えて、あの日本海の寒い寒い風を受けながら、私は母の背中をいつも見ながらずっと農業をやってきました。私は、今でも母の背中が大好きです。母の背中を見ると、いつも農業をしておったときの姿が浮かぶからです。 ロンドン、パリ、ニューヨーク、いろいろな国を回りました。
そして、そこのところに入っていくための良い成績を取っていく、中学校時代、いい高校に入っていい大学に入って、大手の企業さんにお世話になって幸せな生活を送っていくという、そういう構造的なものが本当に九〇年代に入って崩壊してきて、そして具体的に、じゃ我が国はどういう方向でこれからの未来社会を切り開いていくのかというビジョンですね、子供たちに分かる形でなかなか示せていないと。
当時、中学校時代に何度も入退院を繰り返したということもありましたけれども、非常にその部分で、進学の問題、そして就職をする場合ですね、今度は、障害者じゃない、障害を持っていない、まだ手帳を持っていないということになれば、あなたは障害者じゃありません、障害者基本法には載っておりませんと、難病というか血友病は、ということで除外されちゃうんです。
私、小学校時代も中学校時代も、性教育なんて受けたことはありませんね。しかし、こういうのは自然に何となく覚えていくもので、ここまでやっていいのかなと。今初めてこれを拝見しましたけれども、ちょっと行き過ぎじゃないか、私は考え直す必要があると思いますね。
しかし、それも見事に克服し、中学校時代は野球部のキャプテンとして活躍するまでになりました。そのようにして立派に成長し、幸福な日々を送っていたと思います。あの忌まわしい昭和五十三年七月三十一日の夕方までは。 息子の姿が見えなくなってからの気持ちは一言では言いあらわせません。悲しみ、苦しみ、むなしさ、あきらめ、悔しさ、怒りなどなど、いろいろな気持ちが私の心の中で交錯していました。
確かに、一つの流れとして、小さな子は小さな子として、小学校や中学校時代はその時代として、高校や大学は大学として取り組んでいかなければならない。そうしたことを系統的にやはり流れていくようにしなければなりませんし、そのためには、やはり制度上も安定していくようにしていかなければならないというふうに思っております。
敵を知りおのれを知ればなので、片山大臣のいろいろなことを調べたら、中学校時代に知能指数テストが県下一だったそうです。別にこれは個人情報を調べたわけではありません、うちはそういうことはきちんと保護する立場ですから。ホームページに堂々と書いてあるんです。立派なものだなと思いますが、そういう大臣ですから、しっかりと答えていただきたいと思います。 まず、住民基本台帳法について聞きます。
この手記は彼女の公立中学校時代のことが書かれております。 彼女はある日、クラスメートの女子生徒が男子生徒らからいじめられている場面に遭遇します。しかし、周りの生徒はだれもそのいじめを止めようとしない。彼女は職員室に行って担任の先生に助けを求めます。しかし、先生も助けない。あろうことか、先生は彼女を今度は悪者に仕立て上げるんです。彼女はノイローゼだと言うんですね。
しかし、同じ世代で、我々の小学校、中学校時代の著作物あるいは著作権対象とすれば、レコードあるいは本、そういうものが中心であったと思います。先生御承知のように、今はもうまことにいろいろな知的創作物が出てまいりました。加えて、写真とか美術とか、あるいはゲームソフト、そしてまた実演、こういう方々を保護しなくてもいいのかという問題、よくよく考えてみれば私は同じなんだろうと思うのです。
それは、携帯電話とかそういうものがあるものでございますから、極端に言いますと、中学校時代の仲間がそのままずっと続くんだそうでございます。クラスがえしても、新しい仲間づくりがどうもうまくいかない。そこのところに孤の世界が広がっておるという気がいたしました。 そこで私たちは、まずこれは、学校の現場、それから地域、それから家庭というものが一体となってそういう事実をしっかり受けとめなければならない。
こんなことをもう中学校時代に教えているんだなということで感心をした。 その中で、日本はどっちかというと、学校、家庭、地域社会と一体となって、こう言うものですから、どこまでが教員の先生方の責任か家庭の責任かというのはあいまいなんです。それで、私はいつも思うんです、もう学校の門を出たら家庭の責任だと。夜中に繁華街を先生方がうろうろ歩いて、それは親の方の責任ですよ。そういう明確な部分がないんです。
と申しますのは、私ごとで恐縮ですが、昭和二十年、敗戦間もなく、私は、釧路炭田の、いわゆる三菱系の炭鉱でございますが、尺別炭鉱というところに小学校、中学校時代を送ったわけでございます。当時は、都会におりますと、もう食べるものがございません。着るものも満足にございません。
先ほど、私の小学校、中学校時代の話を申し上げましたけれども、今この現状の中で、この問題について法制化をして、学校の方々がきちっと生徒たちに指導する中で、いいこともあると思うんです。その考えられるいいことというのはどういうことなんだろうか、あるいは混乱はどういうことなんだろうか、その混乱を解決するためにはどういうようなものがあるんだろうかということをそれぞれの先生方にお伺いをしたいと思います。
よく燃え尽き現象と申しますけれども、実は去年、高校一年生を対象にして、中学校生活を振り返ってもらって今の高校の一学期の生活でどういうテーマを持っていますかと聞いたら、中学校時代は部活動を頑張った、受験を頑張った、学級会も頑張ったとか言っているわけですよ。高校になりますと、部活動はちょぼちょぼ、アルバイトもちょぼちょぼ、勉強もちょぼちょぼというか、まさに先生がおっしゃるようにテーマがないんです。
「入試に関して言えば、小学校で塾に行ったり、中学校時代ずっと塾通いなどというのは絶対に良くない。ある段階において一年なり半年なり、徹底的に試験勉強という訓練に耐えることも必要だろうが、それが五年も六年も続くのは異常なことだ。」これはもっともなことだと私も思います。ただし、先ほどのデータの中で、実際に通っている生徒が五百万人ぐらいいましたですね。
特に、この体験学習で私が今思っておりますのは、中学校時代にいろいろなこういう体験をさせますと、その中で自分の適性といいますか、自分に合ったものを見つける子供が多うございます。そうすると、この方向の職業につきたい、ああいうことに行きたいということで、高校になったらある程度そういう勉強をし始めます。ですから、現在、やはり体験の少なさが進路決定には問題があるのではないかと。
○町村国務大臣 念のために申し上げておきますが、内申書には、中学校時代の成績を書く欄と、それとは別にもう一つ、その子の特色、いい面、悪い面、それは両方あると思いますが、できるだけいい面を取り上げて書くという両方があるわけですね。
卑近な言葉で言いますと、小学校から中学校の段階で、希望する高等学校に学んで大学に進みたい、あるいは就職したいというような気持ちで小学校、中学校時代を過ごしている子供たちも相当数いるというわけでございます。
私は、中学校時代というのは空想にふけっていました。授業中勉強せずに、いろいろな空想をしたり、本を読んだ。小学校のときには、ターザンの映画を見たらすぐターザンごっこになって、ターザンになったような気分がしていました。そして、うちの息子たちは、ジャッキー・チェンのテレビを見たら、ジャッキー・チェンになったような格好をして暴れていました。
今の若者の多くは、中学校時代の三年間は楽しいものではなかった、余り振り返りたくはないと言っております。国や社会がいかに経済的に豊かになったとしても、子供たちが生き生きとして未来を見詰め、成長することなくしてはその国が滅びることは歴史が示しております。 総理が六つの改革の中の最重点として、教育の改革に取り組まれることを強く要望いたしまして、私の質問を終わります。
その子供にとって、小学校時代、中学校時代、どのような教育をその子供に提供することがその子供の将来にとっていいかという視点で学ぶべき学校は選択されるべきであろうというふうに思います。