1952-04-21 第13回国会 衆議院 通商産業委員会 第26号
私は石油を四十二年間経営し、かつ四日市の施設問題につきましては、昭和二十年十一月一日出願の、第一先願の立場であり、かつは二十二年一月二十九日、当時内閣における中央特殊物件処理委員会においてタンク施設等の使用認可をとりまして、爾来五年間、今日も使用しております。石油業者の立場におきましては、最も歴史が古くかつ事情を存じておるものの一人であります。
私は石油を四十二年間経営し、かつ四日市の施設問題につきましては、昭和二十年十一月一日出願の、第一先願の立場であり、かつは二十二年一月二十九日、当時内閣における中央特殊物件処理委員会においてタンク施設等の使用認可をとりまして、爾来五年間、今日も使用しております。石油業者の立場におきましては、最も歴史が古くかつ事情を存じておるものの一人であります。
廃兵器処理の概略の沿革を申上げますと、昭和二十年の十一月に中央特殊物件処理委員会と申します内閣の委員会の決定に基きまして、政府の監督下に兵器処理委員会という委員会を置きまして、この委員会をして廃兵器等の処理の引継を担当さして参つたのでありまするが、この機構を以ていたしましては、廃兵器処理の迅速的確を期することができない情勢に立至りましたので、本年の二月末日に兵器処理委員会を解散いたしまして、その業務
○武藤委員長 廃兵器について、十一月の初めに解体兵器等の処理機構に関する件というのは中央特殊物件処理委員会に附議決定されておるようでありますけれども、それはどういういきさつですか。
○徳田委員 これは中央特殊物件処理委員会が実際上國の財産を処理しなければならない関係上、大藏省から行つておつたわけなんですか。
その方針に則つて中央特殊物件処理委員会というものが設置されましたのが、私の調査によりますと十月三十一日になつている。それからその中央特殊物件処理があるというので、十一月五日に兵器があるというので、十月五日に兵器処理委員会というものを中央物件処理委員会が設置することに決議したわけであります。
それから復員局で中央特殊物件処理委員会の構成の中に、復員廳第二復員局、これは総務部長と同部総務課長が出るということになつておりますが……。
○鍛冶委員長代理 今おつしやつた中に中央特殊物件処理委員会というものがございましたが、これはどこでどういう人々がやつておつたのですか。
○鍛冶委員長代理 中央特殊物件処理委員会ですね。