1950-02-10 第7回国会 衆議院 電気通信委員会公聴会 第3号
先ほども前公述人が言われましたように、電波というものは世界共通すべてのものが持つものである。それにもかかわらず何か今申すように、あれを技術家、でなければ宣伝者と、この二つのもののように一般人に印象を與えておるのは、非常に遺憾でありまするが、それが事実であります。
先ほども前公述人が言われましたように、電波というものは世界共通すべてのものが持つものである。それにもかかわらず何か今申すように、あれを技術家、でなければ宣伝者と、この二つのもののように一般人に印象を與えておるのは、非常に遺憾でありまするが、それが事実であります。
それもなぜ外人はこれを非常に愛読するかと申しますと、私の考えでは、そこには世界共通の平和へのあこがれがある。それから戰争を唾棄して人類の幸福のために盡す、その根本精神がここに盛られておる。
○龜山参考人 学問の種類がいろいろありますが、自然の、天然の真理というようなものは世界共通であります。が学問には非常に国内的な問題の学問もあります。それですから、世界的のレベルを比較する場合は、自然そのナチユラル・トルースというような基礎的なもの、理論物理学、数学、生物学、ことに遺伝学、それから化学というようなものは相当世界的でりつぱな業績をあげております。
しかしいずれにいたしましても内閣統計局によりまする失業者の数字は、厳密な意味において——この厳密な意味と申しますのは、失業の定義につきましては、日本でもさまざま言われておりますけれどもこれは世界共通の定義において調べたものでありまして、その労働力調査によりまする失業は、あくまで四、五十万程度というのが現在の失業の数字ではないだろうかと存じておる次第であります。
これは要するに、世界共通の失業の定義で、内閣の統計局で一応行つている数字でございまして、なぜ減つているかという点になりますと、具体的に私もよく存じておりません。ただ安定所の窓口から見ました数字で申し上げますと、やはり逐月多少はふえているという形になつております。
その御趣旨ははなはだけつこうであると私ども思つておりますが、何分にも暦と申しますものは世界共通のものでございまして、各國においてこれを採用するというまでには、相当慎重な態度をもつてこれに当らなければならないと存じます。第一の点については一月一日を立春の日に改めるということは、暦の本質という点にはあまり触れておらない点であるかと存じます。
というのは、これこそが民主主義のルールなんだから、どうかこの民主主義のルール、世界共通の民主主義にお乗りになることを私は切に要求しまして、私の質問を終ることにいたします。(拍手) 〔國務大臣吉田茂君登壇〕
極端に申しますならば、我々は自分の靴を自分のポケットの金で買うと同じように、自分が物を運ぶときは、一般会計の世話にならず自分で運ぶということが世界共通のことであり、自分の荷物を國家の負担において運ばなければならんというようなことこそ不完全なのではないか。そういう時代はすでに過ぎ去つておると思います。
乗組員の数も詳細に私は聞いておりませんが、大體船舶に對する乗組員の数というものは世界共通に、その船型と、トン数に應じて決つておるのであります。特に日本の船舶が乗員の数が著しく少いとは承知しておりませんが、尚その點も早速取調べて、若しさようなことかあれば至急是正いたしたいと思います。
世界共通というようなものも一應は考えてもよいのですが、結局は國民生活の永い歴史の中に自然に考えられて來た歴史的な、記念すべき事実なり或いは習慣、こういつたものの中から選ばなければいけないのじやなかろうか、この程度のことを考えております。
又いずれの國におきましても事務官は政党員でいけないのみならず、政党に加入してはいけないというようなことは、世界共通の原則になつておるようであります。イギリスにおきましては御承知の通り、政務官と事務官の区別がありまして、事務官は一生懸命に事務に鞅掌する、内閣が如何に送りましたところが、事務官の地位には影響を及ぼさない。
一、國家粉爭の調停、仲裁、一、世界文化の交流、一、世界貿易の交流、世界市場の協定、一、世界食糧の分配交流一、植民地の共有地化、一、世界共通語の創設及び晋及、一、通貨の統一、一、度量衡の統一、一、軍事力の管理等でございます。 尚この際、この機構の下に特に世界文化連盟なる組織を提唱いたしたい。
この外國使節や外國君主を鄭重に扱うことは、これは實に世界共通であります。英國であろうが、米國であろうが、ドイツ、フランス、オランダであろうが、南米諸國、オーストラリヤ、大抵の國は外國使節を特別に刑法上取扱うという條文ができておる。國際條規に今日はなつてきておる。それをわざわざ現内閣は削除した。片山さんは外交關係については議會報告しなければならぬ。
○國務大臣(片山哲君) 基本的人権を政治原理の上から考えたり、人間生活の本則に立つて考えまするときには、世界共通の観念に立つて考えて行かなければならないと思います。
思うに、人間生活を規律いたしまする政治原理としての民主主義は、十八世紀時代より進展いたしまして、歴史的幾多の変轉を経て、第一次、第二次世界戰爭の後におきまして、ここに初めて世界共通の新生活原理として発見せられるに至つと考えるのであります。西洋文化は御承知の通り、ギリシャ文明、キリスト教文明、近代科学の集積であると思うのであります。
思うに、人間生活を規律いたしまする政治原理としての民主主義は、十八世紀時代より進展いたしまして、歴史的幾多の変轉を経て、第一次、第二次世界戰爭の後において、ここに初めて世界共通の新生活原理として発見せらるるに至つたと考えるのであります。西洋文明は、ギリシヤ文明、キリスト教文明、近代科学の集積であると考えるのであります。