2019-06-04 第198回国会 参議院 法務委員会 第17号
私たちの施設にいる子供たちも、もうやっぱり学童期以降の子供にとって地域というのは本当に世界そのものですよね、学校を中心とした。電車に乗ることもめったになく、基本は本当に徒歩圏内の中で友達との関係を築きながら生活をしているわけですね。
私たちの施設にいる子供たちも、もうやっぱり学童期以降の子供にとって地域というのは本当に世界そのものですよね、学校を中心とした。電車に乗ることもめったになく、基本は本当に徒歩圏内の中で友達との関係を築きながら生活をしているわけですね。
というような意味では、大体この世界そのものが、原子力を一つ持つことによって大変な監視社会になるという言葉があるように、あと、国民の議論の中でコンセンサス会議のようなものをつくってどうこうということは、日本では私は不可能だと思っております。 以上です。
その音楽がつくり出す世界そのものがすばらしいというふうに理解していると思います。あるいはピカソの絵がすばらしいというのは、ピカソの絵を見ていると近眼が治ったり視力がよくなったり、だからすばらしいというふうにはだれも解釈しませんね。文化として芸術が尊重されるのは、実は、そのこと自体の中に、喜びや感動や、そういうものを生み出す基本的な価値があるということであります。
これは見方によるんでしょうけれども、おくれればおくれるほど、日本の立場を反映させることは困難になるとか、あるいは世界そのものが新しい貿易なりいろいろなお金の流れの仕組みをつくる、それに参画するということになるんじゃないかとか、いろいろな議論があるんですけれども、今前原大臣も言われたとおり、注意深く我々は少し議論を詰めていきたいと思っています。
これは世界そのものがグローバル化をして、国境がなくなってきて、いろいろなものが、人ですとか物ですとか、あるいはお金ですとか、そういうものがどんどんいろいろなところから入ってきては出たりしている。 そういった中で、日本の固有の種、日本古来から日本で生息をしていた、そういった生物が、例えば、一時期ムシキングなんというカードゲームが子供の間ではやりました。
ですから、先ほどおっしゃられましたように、アラブ世界そのものも親米的なものに変えていくという議論があるということを御指摘ございましたけれども、部分的には、アメリカの中で、アメリカ的な民主体制、アメリカ的な政治体制というのを世界に確立していくのだという、いわゆるアメリカのミッショナリー外交といいますか、使命感に基づいた外交といいますか、そういうのが伝統的にあるわけですけれども、それがさらに表面化してきたということかと
社会情勢なり日本の国際社会にあるありようなり、あるいは世界そのものもどんどん変わっていくわけでございますから、弾力的にしておいた方がいいんじゃないかな、こんな思いがしております。
そういうその基準に、そのアメリカ的な基準、アメリカ的な価値観に基づいた基準によって、この国とこの国は悪の枢軸であるという名指しで批判をしていくということが、今度はイスラム世界から見ると、イスラム世界そのものをアメリカの基準によって裁定するといいますか、あるいは分断するといいますか、そういう反感あるいはアメリカに対する批判というのは当然出てくるんだと思うんです。
それと、近代あるいは現代社会の問題というのはかなり複雑でございますので、イスラム法を持ってきたらぽんと答えが出るというわけにいきませんので、やはり世界そのものが激動しているというのに対応してなかなかコンセンサスが決まらないということはあると思います。
○高野博師君 最初に、後藤先生の方にお伺いしたいと思いますが、後藤先生の論文をちょっと興味深く読ませていただいたんですが、私は全く同感でありまして、世界史を見るときに、この世界そのものを、我々が学んできた世界史というのは、ヨーロッパがつくった、ヨーロッパの人がつくった世界史ではないのかと。もともとヨーロッパというのは世界全体から見ると辺境の地にあったものだと。
このテロが単に米国のみに向けられたものにとどまらず、国際社会あるいは我々の世界そのものがテロリストの標的として挑戦を受けていることを認識しなければなりません。米国大統領の、これは戦争行為そのものだとの発言は、この事件がいかに容易ならざる事態であるのかの表現であり、我々はそれを十分理解する必要があります。
確かにそうですけれども、一つには世界そのものがもう人口が満杯になりかけているわけですね。それと、世界に行くということは、かつて大航海時代ですか、あれは資源を求めに行ったのかもしれませんけれども、市場開拓にも行っているはずなんですね、先進国が。そういうことで、どちらかというと非常に発展途上国を搾取したというような雰囲気が僕は強かったんじゃないのかなという感じがいたすんです。
また、世界そのものもすっかり変わっちゃったわけでありまして、東西対決、こういうものがすっかり変わってしまった。 ありとあらゆる部分が変わっちゃったわけですから、したがいまして、敗戦後できた日本の社会の仕組みというものを新しい時代に合わせて変えなければいけない、これが今時代が求めていることではなかろうか、こう思うのでございます。
私は後で外務大臣にもちょっとお聞きしたいのですけれども、これは世界各国でこういう問題に対して、自由世界そのものを見ましても何か国によって対応がずいぶん違う、外務当局はこういうようなレーガン大統領の発言についてどういう評価をしておられるのか、ひとつお聞きをしたいと思うのです。
ただ、私がいま竹本さんの御所見に対して注意を引くのは、これはもうアメリカがどうのこうのという問題よりは、世界そのものがかなり変質してくる可能性を持っておる、そういうおそれがある、こういうことなんです。そういう可能性に対して、わが日本がどういうふうな姿勢をとるか。私はいままでのような、ただ単に資源はどこからでも無制約に入ってまいります、そういうことを前提としての国のかじとりというものは妥当でない。
従来のように、学部というものだけに限られた大学のあり方をもっといろいろな形で、時間がありませんので省きますが、いろいろなところに開かれて、学問の世界そのものももっといろいろ開いていくような形を、仕組みを考えていかなければなるまい、こういうことがここ数年いわれてきておるわけでございます。そのことをどのようにお考えになるでございましょうか。
また、中小企業の世界そのものが非常に広範、多岐にわたっておりますので、業界をうまくまとめてまいるということもたいへんむずかしい仕事であり、各省庁の協力体制を打ち立ててまいるということもむずかしい仕事でございますけれども、やらなければならぬ仕事でございますので、そういった点に細心の注意を払いながら、御指摘のような方向に進めてまいりたいと思います。
一つは極微世界そのものの探究であり、一つはそれと関連は持ちまするけれども、利用面の基礎研究、こういう点で相当性質を異にいたしております。
なにせ世界そのものが一つの大きな詭弁であるような時代には、詭弁も又尤もらしく聞えるものであります。第七国会以来ここ二ヵ年、再軍備の問題が如何にこの詭弁の助けを借りて推し進められて来たかということは、国会の速記録を詳細に検討すれば明らかなことであります。(「明々白々だ」と呼ぶ者あり)曾つて大橋国務大臣は、予備隊には武器を持たせないと言明した。