2012-03-28 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号
鉄軌道について伺いますが、戦前、那覇—与那原間、那覇—嘉手納、それから那覇—糸満、総延長四十八キロの沖縄軽便鉄道が走っていたということは、最近、我々の間でも随分知られるようになりました。地上戦で施設が破壊され、運行が停止となったわけでありますが、戦後、沖縄を占領した米軍によって、一九四七年の十一月ですけれども、実は鉄道の復活を計画して測量まで行ったということがあったようなんですね。
鉄軌道について伺いますが、戦前、那覇—与那原間、那覇—嘉手納、それから那覇—糸満、総延長四十八キロの沖縄軽便鉄道が走っていたということは、最近、我々の間でも随分知られるようになりました。地上戦で施設が破壊され、運行が停止となったわけでありますが、戦後、沖縄を占領した米軍によって、一九四七年の十一月ですけれども、実は鉄道の復活を計画して測量まで行ったということがあったようなんですね。
これは、ですから、那覇を起点に糸満にも、それから北部五十八号線も、それから東側、与那原を経由してのうるま市、こういうふうな道にもなると思いますけれども、一つの拠点をつくると環状線みたいにもできてくるんではないかという形でLRTをやっております。これは富山県でやっておるようでして、まだ見ていないんですけれども、是非その状況というものを見てみたいなと、こういうふうに思っております。
那覇から与那原というところに鉄道があったわけですが、これが戦後、全く復旧されないまま本土復帰を迎えたということでございます。 今回の民主党政権になってからの調査は、私、大変ありがたいと思っております。
それで、実は、今年度で終了する緊急雇用創出事業を活用して、数十人のホームレスの方とか失業者の方を一時的に雇って、そしてこの団体の方が指導して遺骨収集をやるという形で、那覇市とか与那原町でやっているという状況なんですね。
その井上桜と与那原寛子という二人の議員が、平成十四年、横浜市議会で日の丸が掲揚してあったら、それは横浜の議会運営委員会で決まったわけですよ、それで掲揚していたら、それはとんでもないということで、それを、いわば日の丸を取りにかかって、それで議長席を六時間にわたって占拠した。
与那原町長とも話しました。基本的に彼らも一括交付金でいいと言っている。いいんだけれども、その内訳で、七百四十一億円から半分以下にされた市町村分が変わらないならばメリットがないよねと。 ですから、ちょっときょうここで知事に、私も沖縄県議会議員になりたかったんですよ。
特に、これから、激戦地、与那原町運玉森での国道工事が始まります。ここではどれだけの遺骨が見つかるか、想像もつきません。そういうところに対しては、公共事業の事業者に対して、遺骨収集に対しても丁寧にやっていくような、負担を感じないような支援策、そういう仕組みを検討していただきたいんですが、いかがですか。
さて、質問の一番目は鉄軌道の話でございますが、戦前は沖縄県内でも那覇を起点に、南は糸満、北は嘉手納、東は与那原まで鉄軌道が走っておりました。私は少年でございましたが、嘉手納から那覇へ行くにはこの鉄軌道に乗って、いや、軽便鉄道といったんです、この軽便鉄道に乗って那覇に行くんです。
先生御指摘の地域における道路の整備でございますが、御指摘のとおり、現在、国道三百二十九号線与那原バイパス、四・二キロでございますが、整備を行っているところでございます。具体的には、与那原バイパスにつきましては、平成十六年度に工事着手いたしたところでございまして、平成十八年三月にはマリンタウンプロジェクト内の区間について部分暫定供用に至っているところでございます。
それから、西原・与那原マリンタウンが同じような埋立てをしたんですが、ほとんど塩漬けにして土地が残っているという。なぜそのような前例があるものを、何度も何度も前例が失敗しているものを同じことをやるのか、沖縄担当大臣、よろしくお願いします。
まず、国道三百二十九号線のバイパス道路整備でございますが、現在、与那原バイパス及び南風原バイパスとして事業を行っているところでございます。与那原バイパスにつきましては、平成十六年度から工事着手をいたしまして、昨年三月にはマリンタウンプロジェクト内の区間において部分暫定供用を行っております。
○安次富委員 さらに道路に関してですが、本島東海岸道路、国道三百二十九号線バイパス道路の建設の早期整備について、与那原のマリンタウン線から西原町の工業団地まで、これは沖縄で一番の工業団地でありますけれども、その整備促進について御説明をいただきたいわけであります。
そこで、同じ中城湾の西原町、与那原町でも十年ほど前から埋立てを行っているわけですね。既にもう形が見えてきておりまして、先般行きましたら、あそこでモトクロスか何かをやっておりましたけれども、もう見えてきております。すなわちマリンタウンプロジェクトでございますけれども、この開発事業と泡瀬の事業と競合するところはないのか、その辺ひとつお聞かせください。
○政府参考人(武田宗高君) 委員御指摘の西原与那原地区で実施中のマリンタウンプロジェクトでございますが、これは、那覇都市圏の拡大に伴いまして市街化が進んでおります西原町あるいは与那原町におきまして、県が主体となってこうした動向に対応するための受皿という土地を造成をすると、そのことによって海辺のアメニティー豊かな町づくりを推進するというそういう計画でございます。
東海岸でも与那原、川田干潟が埋められました。全部で千百二十七ヘクタールの干潟がなくなっています。さらに、港川、大嶺干潟、それから泡瀬干潟、佐敷干潟、ここで開発計画があります。まさに風前のともしびという状況です。 沖縄本島北部の干潟は赤土の流入で環境が著しく悪化をしていますし、このまま開発が進めば中南部の干潟もほとんどなくなってしまいます。
と申しますのは中城の近くに与那原という地区が、もう既に与那原という埋め立て地には、ホテルとか、それから文化交流用の施設とか、それから人工ビーチ、マリーナなんかがあるとのことなんですけれども、私、行ったことがないんですが、沖縄は大好きでしょっちゅう沖縄へ行っていますけれども、ここにはまだ行ったことがございません。
○照屋寛徳君 戦前、那覇を起点にして与那原まで、もう一つは今の嘉手納基地のあたりまで軽便鉄道が実は走っておったんですね。
○国務大臣(中川秀直君) 今の与那原とおっしゃいましたでしょうか。
軽便鉄道が、那覇から与那原町、那覇から今の嘉手納町、嘉手納基地のあるあたりまで走っておったようでございます、私は戦後生まれですので実際見たことはございませんけれども。 その後、沖縄は今日まで一切国鉄の影響を受けていないわけでございます。沖縄は鉄道がないものですから、大衆の足というか公共的な輸送機関はバスに頼らざるを得なかったわけであります。しかも、公営バスは全くございませんでした。
那覇−与那原間、それから那覇−嘉手納間に軽便鉄道が走っておったのでありますが、あの戦争でなくなりました。戦後は唯一沖縄だけが国鉄の恩恵を一切受けなかったのでございます。一方で、本土にあるような都営鉄道あるいは県営バスなどもなかった。沖縄の公共交通はすべて民間のバス企業が支えてきたのでございます。
戦前、那覇を中心に嘉手納にも与那原にも糸満にも御存じの軽便鉄道がございました。戦後なくなりました。残念です。そういう軌道システムがないのは全国で沖縄だけです。これを考える重要なときに今来ておるのじゃないかというふうに思い、質問をいたしたいのです。
同時に、埋立事業も幾つか計画されているわけでありますが、臨空港産業の機能を果たそうとする豊見城村地先の埋め立てあるいは中城湾港南部地域の与那原町の埋め立てあるいは沖縄市の東部海浜地域の開発事業等々、これからの産業基盤を強化していく上で最も重要な柱になる事業でありますので、こういったものもぜひともその中に組み入れるべきじゃないか、こういうように思っているわけであります。
先生御指摘の沖縄県の与那原町で発見された一トン爆弾は、四月二十九日に私の方の不発弾処理隊が発見現場において信管を除去しておりまして、現在処理の形態として海中投棄ということを考えておりますが、沖縄県の不発弾保管庫に保管 されております。
次に、沖縄県の与那原町は、去る四月二十九日に発掘された一トン爆弾、これなんです、これ。(資料を示す)一トン爆弾の不発弾を近く与那原町に建設予定の歴史資料館に保存、展示して歴史の証言資料として後世に伝え、平和教育に役立てたいと希望して、その不発弾を譲り受ける申し入れを今やっておるわけなんです。
しかし、今でも那覇市内の首里地域あるいは浦添市のあの一帯、また最近は南部、南風原町を中心に与那原町とかそういうところで大型の不発弾が発覚して、時折は二、三千人ないしそれ以上の住民が避難をして処理しているという状況なんですね。このまま続くと本当にあと七、八十年ないし百年近くかかるのじゃないかという見方さえあるわけですから、ぜひこれも継続して早目に処理できるように、特段の御努力を願いたいと存じます。