1974-02-21 第72回国会 衆議院 予算委員会 第19号
お話がありました新里通信所、与座岳陸軍補助施設、これが地主、市町村から強い返還要求のあった二カ所であると私は見ております。
お話がありました新里通信所、与座岳陸軍補助施設、これが地主、市町村から強い返還要求のあった二カ所であると私は見ております。
その際に、先ほど申し上げました第一の移設を要せず返還される施設、区域といたしまして、全面返還、久志訓練場、屋嘉訓練場、平良川通信所、西原陸軍補助施設、牧港調達事務所、新里通信所、与座岳陸軍補助施設という七件が全部返還の合意を見ておりますし、そのほかに一部返還の対象といたしまして、北部訓練場、安波訓練場、奥間レスト・センター、恩納通信所、ボロー・ポイント射撃場、キャンプ・コートニー、嘉手納飛行場、キャンプ
がお答えになったような趣旨で、専用水道施設として幾つか残しておかざるを得ないものは残しておくんだというふうにいま承知しておりまして、現在われわれが把握しておりますのは、これは後ほど資料で御提出いたしますが、名前で申し上げますと、奥間レスト・センター、それから伊江島の補助飛行場、八重岳の通信施設、恩納通信所、ボロー・ポイント、屋嘉レスト・センター、キャンプ・ハーディ、キャンプ桑江、南部弾薬庫、与座岳陸軍補助施設
それから、ハーキュリーズの基地の中で、私たちの調べたところによりましては、いままでにナイキハーキュリーズの基地としてありましたAの二一のボロー・ポイント射撃場、それから読谷第一陸軍補助施設、Aの二四の石川陸軍補助施設、Aの四七の西原陸軍補助施設、Aの五一の普天間飛行場、Aの七四の与座岳陸軍補助施設、こういったものにつきましては、現在これが使われておりません。