1952-07-05 第13回国会 参議院 本会議 第63号
即ちこれによつて、私が先ほど結論いたしましたように、今回の條約の締結は、まさにサンフランシスコ條約に参加しなくて全世界の勤労者の注目と賞讃を浴びたインド政府が、曾つての声明は全く事実上不発彈で、口先だけのことであつたということを、ここで指摘する明瞭な証拠になるべきものであります。
即ちこれによつて、私が先ほど結論いたしましたように、今回の條約の締結は、まさにサンフランシスコ條約に参加しなくて全世界の勤労者の注目と賞讃を浴びたインド政府が、曾つての声明は全く事実上不発彈で、口先だけのことであつたということを、ここで指摘する明瞭な証拠になるべきものであります。
この間の飛行機の事故のときは、あれは不発弾があつて、爆発する危険があつたから、不発彈を処理する間だけ立ち寄らせなかつた。これは危險防止のための当然の措置であります。
教育関係者がその際多数来まして、自分の地方の教員の給料が不確実であるから、不安定であるから、是非このような法案の趣旨に努力してくれと何百人の人が来て頼んだ、非常に期待しておつたが、これは不発彈に終つた。香しからざることがたくさんある過去に……。であるから、このような趣旨のいい法案でも、九年間にやるというようなものであるならば、又一度やるならば、これは完全無欠のものにしなければならない。
従つてこの決議案を不発彈に終らせたくないと考えますので、十分な検討と、強力なる推進を必要と考えますから、なお引続き小委員会のようなものを設けまして、この問題を検討し、強く要望する態勢を整えたいと考えます。そういうふうにおとりはからい願いたいと存じます。
と申しますのは、あの爆藥というのは、よく調べてみたところが昭和二十年七月十四日に大空爆がありまして、そのときに不発彈が落ちた。非常な重味でありますから、これがそのまま放置されておつたのがどこかに埋もれてしました。それが今回はからずも出て來たのがそういうデマの材料になつておる。こういつた実にばかばかしい材料もあるわけです。
併し、相当向うは考えて投下はしたのでしようが、航路を離れました海岸線に打上げたり、又小豆島や瀬戸内海方面は沢山島嶼がありまして、その中には山に落ちたものも沢山ありましたり、又海岸で不発彈もあつたりしまして、数量的に行きますと、そういうようなことになりますけれども、大体残存しておりますのは、海中に投下されたもので現在残つておるものは、推測ではありますけれども、三割程度ではないかと、こういうような予想をしておるのですけれども