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54件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2015-09-11 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第19号

例えば、満州事変の際、若槻内閣不拡大方針を取りましたが、これに対し新聞や世論はこぞって若槻内閣は弱腰だと批判をしまして、結果として不拡大方針を覆させました。いっときの熱気に流されることなく、冷静に客観的に日本が置かれた状況を直視することは我が国を守るために重要です。また、満州事変においては、軍部の行動の評価は別としまして、結局、内閣国会の統制が軍部に利かなかったという事実があります。  

和田政宗

2006-02-14 第164回国会 衆議院 予算委員会 第11号

あるいは、三七年の盧溝橋事件についても、当時の近衛首相米内海相不拡大方針、閣議決定までされました。しかし、それにもかかわらず全面的な日中戦争拡大をした。だれも罰せられていないし、責任をとっていない。  そういうある意味でのあいまいさといいますか、それが日本の特徴だと言われればそうかもしれませんが、やはりそういったことについてきちんと検証を重ねる、そのことが私は必要なことじゃないか。

岡田克也

2002-06-28 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第16号

ただし、その際に問われるのが、戦前不拡大方針を次々に覆して泥沼に入り込んだ日中戦争のようにならないのか、日本軍が自国民より軍そのものを守ろうとして起こした数々の悲劇、非常事態の名のもとに行われた報道管制、じゅうりんされた人権、これらに対する懸念はいまだ非常に強いのも事実であります。

志田邦男

1993-11-08 第128回国会 参議院 決算委員会 第3号

それが三週間続きまして、そして日本中国が余りにも停戦協定に対する背信行為が多いので、とうとう我慢できなくなって不拡大方針を一郷するのが七月の終わりでございます。日本中国に対し最後的通告を出して戦闘を始めるのは七月二十八日でございます。つまり、七月七日に起こってから二十一日間、実に三週間日本不拡大方針を堅持し、その中心は作戦部長をやっておりました石原莞爾でございます。  

木暮山人

1991-04-23 第120回国会 参議院 外務委員会 第6号

どもが言っております領土不拡大という場合には、あくまでも一度も日本領土権を離れたことのないもの、歴史的にずっと日本領土であったもの、これが固有領土であり、その固有領土は第二次世界大戦敗戦国といえどもここから奪わないというのが領土不拡大方針の基本であろうという解釈に立脚してそういうことを申し上げているわけでございます。

兵藤長雄

1991-02-08 第120回国会 衆議院 予算委員会 第9号

再三再四総理大臣不拡大方針、即時停戦、そういうふうなお話でありますが、裏腹に現実はそう動いておる。だから、我々はそれに対応してできるだけ早く避難民をお運びをするということが大切だ。そのためには平和な間の方がいい。lOMの方にでも連絡をして、民間航空機を出しますという格好にした方が我々の方はいいではなかろうかというふうに思うのですが、外務大臣、いかがなものでございましょうということが一つ。  

野坂浩賢

1988-05-16 第112回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号

上田耕一郎君 奥野発言の問題の一つに、大東亜戦争という言葉を彼使っているんですけれども、大東亜戦争米英に宣戦布告したので侵略戦争なんだ、しかし日中戦争は、これは偶発的なことで起きたし不拡大方針をとっていたので事変なんだ、そういう発言があるんですね。中国との間では侵略戦争でなかった、これは驚くべき発言だと思うんですね。

上田耕一郎

1988-05-12 第112回国会 参議院 大蔵委員会 第13号

奥野国務大臣一連発言、すなわち中国に対する侵略という意図がなかったとか、あるいは盧溝橋事件は偶発的な事情に始まったとか、あるいは中国に対する不拡大方針をとったとか、こういう一連発言は、中曽根総理の三年前の中国に対して侵略の事実もあった、また二年前の侵略的事実は否定することができないという国会答弁、あるいは竹下総理の昨日の参議院本会議における国会答弁等と明らかにこれは違っている、矛盾しているのでございます

多田省吾

1988-05-10 第112回国会 参議院 大蔵委員会 第11号

次に日中に関して、日本侵略的な意図を持っておったかどうかということは、したがって自分はそういう言葉を使いたいと思わないが、当時の日本政府不拡大方針政府としては持っておったというふうに自分は考えておると。なお、もとより自分日中間友好を祈念すること人後に落ちるものではなく、そのためにはお互いに友好を大切にしながら率直に意見を述べるということは、決して友好の精神に反するものではないと思う。

宮澤喜一

1988-05-10 第112回国会 参議院 外務委員会 第7号

日中戦争と言われているが政府は常に不拡大方針を指示してきた」と述べられて、きのうの決算委員会新聞報道でありますが、言うならば、日中戦争政府として侵略をしたわけではない、侵略戦争ではないというふうにとれる発言をしているように思われるわけですが、これは外務大臣の認識とは違うのではありませんか。

矢田部理

1988-05-09 第112回国会 衆議院 決算委員会 第5号

そういう意味合いにおいて、あの戦争、不幸にしてアメリカとイギリスに対して当時は宣戦を布告したものでございまして、日中戦争と言われておりますけれども、昭和十二年の盧溝橋事件から問題が発展していったわけでございますけれども政府は常に不拡大方針不拡大方針を指示してまいったことも私からあえて申し上げる必要はないと思うわけでございます。  

奥野誠亮

1986-09-16 第107回国会 衆議院 本会議 第3号

しかも、それらの事件が起きた場合に、大部分の場合には、中央政府不拡大方針をとっておったけれども現地軍がこれを次第次第に拡大の方へ持っていったという歴史的事実も指摘されております。そういうような状態全般を考えてみた場合に、やはり侵略的事実は否定することはできないと私は考えておるところでございます。  

中曽根康弘

1979-02-20 第87回国会 参議院 外務委員会 第3号

不拡大方針というものを打ち出しながら、そうして拡大していったあの忌まわしい太平洋戦争のことに思いをいたすまでもなく、それとは異質の今回の状況かもしれませんけれども戦争というものはえてしてそのきっかけいかんによって、あるいは収拾の方向をたどる場合もありましょうし、あるいは拡大方向へいく場合もあるのではあるまいか、こういう点でわれわれは非常に懸念をするわけです。  

渋谷邦彦

1976-10-12 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

カイロ宣言からの、ポツダム宣言からの意図から見てもおかしなかっこうで領土不拡大方針の違反をやっている。これに対して外務大臣たちは歴代、あの四島を、カイロ宣言あるいはポツダム宣言のどこから見ても、領土不拡大のあの原則に忠実にわれわれが従った立場から見ても、われわれの固有の領地で、手をつけていただくところじゃないということを強くやってきたのかどうかです。

受田新吉

1976-10-12 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

ポツダム宣言ポツダム宣言の前のカイロ宣言、それを通じてわれわれが理解していることは、領土不拡大方針こういう方針が一応この宣言に決められておる。ところが、あのサンフランシスコ平和条約によって千島という日本固有領土、特に四つの島など昔から伝統的に日本領土であるものまで含んで、また千島の中、北の千島でさえも、これは明らかに明治八年の千島横太交換条約で、正規の手続で交換したのですからね。

受田新吉