2004-06-01 第159回国会 参議院 文教科学委員会 第21号
その一年前に、一九九四年の三月に、実はボランタリー・エコノミー研究会という研究会が、金子先生それから下河辺淳先生、それから編集工学研究所の松岡正剛先生、その一年後に私もそこに参画をさせていただくわけでありますが、そういう研究会ができました。その一つの研究成果が九八年の一月に、この本の中にも盛り込んであるわけでありますが。
その一年前に、一九九四年の三月に、実はボランタリー・エコノミー研究会という研究会が、金子先生それから下河辺淳先生、それから編集工学研究所の松岡正剛先生、その一年後に私もそこに参画をさせていただくわけでありますが、そういう研究会ができました。その一つの研究成果が九八年の一月に、この本の中にも盛り込んであるわけでありますが。
そこで、御質問なんでございますが、一年ほど前に下河辺淳先生が、国会移転審議会の場で、非常事態の中でもとりわけ地震、この問題は緊急を要する話である、したがって、この地震にどう対応するかということは、一番いいのは北東地域に地震対応、非常事態対応がすぐにできる政治首都をとりあえずつくっておくことだ、まず那須に国会を持っていって百年後に岐阜に持っていったらいいじゃないかということは、下河辺先生は言っておられませんけれども
これまでは、司馬遼太郎先生、下河辺淳先生、村田敬次郎先生、堺屋太一先生、恒松制治先生、八十島義之助先生の各界の専門家の先生方の御意見をお聞きしてきたところであります。この間、国土庁長官の私的諮問機関として設置されております首都機能移転問題に関する懇談会の座長として八十島さんからは、三回にわたり懇談会の検討状況をお聞きしており、相互に連携して理解を深めております。