1951-03-31 第10回国会 参議院 水産委員会 第23号
殊に昨年末、上海水産公司の手によつて送還された拿捕漁船乗組員五十数名の言明によりますと、中共側はマッカーサー・ラインの存在を否定しておるばかりでなく、東支那海全体を中国の領海であると宣言している有様でありまして、漁業関係者に非常な衝動を与えると共に、又これを契機として、この種の事故は更に頻発する趨勢を示しているのであります。
殊に昨年末、上海水産公司の手によつて送還された拿捕漁船乗組員五十数名の言明によりますと、中共側はマッカーサー・ラインの存在を否定しておるばかりでなく、東支那海全体を中国の領海であると宣言している有様でありまして、漁業関係者に非常な衝動を与えると共に、又これを契機として、この種の事故は更に頻発する趨勢を示しているのであります。
ことに昨年末、上海水産公司の手によつて送還された拿捕漁船乗組員五十数名の言明によりますと、中共側はマッカーサーラインの存在を否定しておるばかりでなく東支那海全体を中国の領海であると宣言しているありさまでありまして、漁業関係者に非常な衝動を与えるとともに、またこれを契機として、この種の事故はさらに頻発する趨勢を示しているのであります。
殊に昨年末、上海水産公司の手によつて送還せられました拿捕漁船乗組員五十数名の言明によりますると、中共側はマッカーサー・ラインの存在を否定しておるばかりでなく東支那海全体を中国の領海であると主張をしておる有様でありまして、漁業関係者に非常な衝動を與えると共に、又これを契機としてこの種の事故は更に瀕発する趨勢を示しているのであります。
○証人(山本徳男君) この監視船は、やはり国営上海水産公司が使用しておるものであつて、やはり軍のほうの命令があればそれに従うものではないかと思うのであります。或る程度その辺として持つておると思います。
○証人(山本徳男君) 上海水産公司も水産管理局も海軍も同じような質問であつたように思うのでありますが、そしてどれが果して一番船を與えたとか、或いは待遇したとかいうようなことはわからないわけです。
只今いろいろと詳しい御証書があつたのですが、上海で取調べを受けました際に、一番最初は上海水産公司社長に調べられて、その次は水産管理局長に調べられて、第三番目には海軍司令部の将校に調べられた、こう御証言なさつたのですが、この上海水産公司それから水産局、それから海軍司令部、これらの関係についてお知りの点があればお答え願いたい。
この捕えられた船は、揚子江口にある花鳥山鳥に持つて行かれ、さらに上海に行つて国営の上海水産公司に引渡されておるのであります。拿捕された位置は、農林省漁区図の二百九十六区、三百八区、二百八十七区等で、すべてマツカーサー・ライン内であります。中共側の係員の言い分は、中共政権としての責任ある明確な方針であるかどうかはわかりかねますけれども、大体次のように要約されるのであります。
それから上海に向けて出発して、同日午後二時に国営上海水産公司の阜頭に横づけされ、船員一同陸に揚げられてその会社より約十二、三町離れたところに收容されました。そしてそこで兵隊が二名ずつ歩哨に立つて、自分たちは監禁されておりました。それから二、三日後に、その水産公司の社長らしい人に呼び出されて、十七、八くらいの娘が通訳に入つて、いろいろ事情を聞かされました。
右五隻の乗組員総員五十四名は、上海水産公司の船舶一隻をもらい受けまして、本年一月二十四日無事博多港に帰還いたしました。 第六十八明石丸、大洋漁業の所有であります。これは本年二月十三日、農林漁区三〇七区におきまして武装船舶より銃撃され、逃避せんとしましたが、拿捕されたのであります。
で各般に歩兵砲らしきもの一門と重機関銃を備え乗組全員は自動小銃か拳銃で武装したのが五、六隻一団となり日本漁船を発見すると十三、四カイリの快速を以て包囲し先ず砲弾を舷側に放つて次に機関銃小銃で威かく停船せしめて来船し来り日本語で「上海に行こう」を連呼しながら機関士一名だけ機関操縦に当らし他の全船員を魚そうに入れ彼等自ら操舵して回航した」 「呉淞の元日本軍日支監視部中支派遣軍碇泊司令部兵舎(現在上海水産公司