1962-02-28 第40回国会 衆議院 外務委員会 第7号
中田技官のあとに、ベレンの上村技師をさらに追加いたしまして、現地の指導に当たったわけです。去年の五月から七月ころまで上村技師がさらに現地を視察いたしました。
中田技官のあとに、ベレンの上村技師をさらに追加いたしまして、現地の指導に当たったわけです。去年の五月から七月ころまで上村技師がさらに現地を視察いたしました。
○久保参考人 私どもの努力の状態がどうであるかということにつきましては、五月八日、九日にわたりまして上村技師、それから池田海協連支部長、大使館から大林書記官、それに外務本省から飯島事務官、それからもう一人の方が来られました際、その現地調査の報告を文書として出されておるわけでありますが、五日に辻原氏が御披露申し上げましたように、この「上村氏の報告書は、」過去の調査報告者、中田技官の「立場も考慮して表現
しかるに、現地において見ますと、同地区は、石河原に少ない砂土をとどわる程度で、それに水量不足し、営農条件は劣悪の由であり、さらに、五月に、漁協連上村技師及び大使館の調査結果によりましても、ネイバは礫質砂壌土または腐植を含む礫多き砂壌土であって、礫質砂壌土は農耕不適地であり、腐植砂壌土は農耕可能ではあるが、土地の生産性は水及び肥料のいかんに左右され、無条件で耕作適地ということはできない。