2009-04-22 第171回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第7号
そういたしましたところ、四月十八日に産経新聞に小川寛太さんという記者さんが上坂冬子さんが亡くなられたことに関して記事を書いておられて、その冒頭にこういうくだりがあるんでございます。「「人間の幸せの条件は愛と仕事」。十四日に亡くなった上坂冬子さんが生前、この持論を曲げることはなかった。「自身の選択は」と問われれば、「私は仕事。愛は裏切ることがあるが、仕事は裏切らないから。
そういたしましたところ、四月十八日に産経新聞に小川寛太さんという記者さんが上坂冬子さんが亡くなられたことに関して記事を書いておられて、その冒頭にこういうくだりがあるんでございます。「「人間の幸せの条件は愛と仕事」。十四日に亡くなった上坂冬子さんが生前、この持論を曲げることはなかった。「自身の選択は」と問われれば、「私は仕事。愛は裏切ることがあるが、仕事は裏切らないから。
一生懸命やっておると思いますけれども、これは、もう後世にこれを本当にこういう運動というのは展開をしていけるのかということになると、その人たちがいなくなったら、私は、ただやっていると、お金使ってやっているという何にも盛り上がらない運動になってしまうんじゃないかなという気がするんですが、是非ひとつその対策は、今までどおりではなくて、何かひとつ考えてやっていただきたいと、こう思いますし、高村大臣には、この上坂冬子
それで、このままでは駄目だと、何やっているんだというような厳しい意見の論調が非常に多いんですが、先般、先週ですか、これはノンフィクションの作家の上坂冬子さんが大阪で講演をされて、北方領土に抗議という、これは見たと思うんですが。
二月に、二十五名の有識者の方、佐瀬昌盛さんや上坂冬子さん、袴田茂樹さん、あるいはまた中曽根康弘元首相などが、首相にアピール文を渡している。すなわち、日ロ行動計画以来、ロシアに誤ったメッセージが伝わっている。
その審査も、そのセンターの中にスポーツ振興投票助成審査委員会と、上坂冬子先生が委員長をやっていらっしゃいますけれども、そういうところでチェックをしていただいているということでございます。 したがいまして、かなり今年は申請に対して、採択率はもちろんそういうことで高かったんですけれども、やっぱりこれはちょっと趣旨じゃないというやつはお断りもかなりしております。
作家の上坂冬子さんも一緒に行かれ、そしてまた、日本側の団長は佐瀬昌盛さんということでございました。 ちょうどそのサハリン・フォーラムをやっているときに、先ほど来質疑がされておりますピースボートの国後島上陸のちょうど直前でございました。サハリン・フォーラムでも、黒田ユジノサハリンスク総領事もオブザーバーということで出席され、議長からの求めに応じて、やはり懸念の声を上げておられました。
ただ、聞くところによればというか、新聞の紙面の上で曽野綾子さんとか上坂冬子さんが真反対の理論を展開しておられた、こういう話も実はあったわけでありまして、今の教育の現状、社会の現状、青少年の現状について、それぞれの国民の皆さんが思っておられる考え方は本当に多種多様にわたるのかなと。ただ、多種多様にわたるから、では、手をこまねいて何もしないでおくというわけにはいかないわけであります。
今先生御指摘のお二人の論争につきましても、興味深くフォローさせていただいたのでございますが、私、実は、曽野綾子先生もそれから上坂冬子先生も、いずれも大変立派な女性の作家であり、かつ評論家でもありまして、尊敬をしております。
これは、作家の曽野綾子さんと上坂冬子さんの論争でありました。テーマは、奉仕活動の義務化について。 簡単に言いますと、すごく長い文章なんですが、曽野さんは、教育というのは強制から始まる、強制から始まって自発性というのを自覚させていく方向に持っていくべきだ、与える喜びを子供たちに知ってもらうためにもやはり奉仕活動の義務化というのは必要なんだ、要約に要約を重ねるとこんな形でありました。
今大変に新聞、テレビ等で話題になっております教育改革国民会議における曽野参考人の御発言とか、お立場のお話があるわけでございますけれども、それに関して、例の産経新聞の正論誌上における上坂冬子さんとのいわば論争、「奉仕活動の義務化は是か非か」というのを興味深く読ませていただきました。
それで、ある新聞に、ノンフィクション作家の上坂冬子さんが「私と日の丸・君が代」という一文を寄せておられるんです。ここで上坂さんはこのようにおっしゃっているんです。 日の丸や君が代は、「国旗や国歌として定着していると思いますから、法制化には何の抵抗もありません。 でも、いま、ちょっと待ってよ、話が違うんじゃないのと言いたいことがあります。政府が国会で「君」は象徴天皇を指すと答弁した点です。
だから、この間、産経新聞に上坂冬子さんという方は、「「君が代」を国歌にすることに賛成だった」、けれども、「私でさえ敗戦から半世紀をへて「君」が象徴天皇をさすとは思いもよらなかった。石ころが苔むす岩になるほど千年も八千年も末長く平穏な日々がつづくのを望んではいるけれど、それを特定して象徴天皇のために歌い上げるとなると抵抗がある。」「国家の主権は私たち国民にあるはずだ。」
そして、上坂冬子さんはこのように書いておる。 日本社会の底辺で名もなく貧しく生きてきた人々の命と引きかえに、平和への調印が済みました。戦争の償いとして夫や父の命を奪われた人々が黙って耐えているからといって、あのときのいけにえを無視していいはずはありません。
その前に、私は上坂冬子さんの「償いは済んでいる 忘れられた戦犯と遺族の五十年」という本を非常に大事にしている。この中で上坂さんはこのように書いております。「忘れた人は思い出し、無知な人は勉強すべきです。日本はかけがえのない人の命をもって、戦後にお詫びや償いを済ませてきました。」
この総理の発言に対して、作家の上坂冬子さんが新聞に載せられた文章をごらんになったでしょうか。どのような歴史観を抱くのも自由だけれども、その根拠は厳密かつ明瞭でなければならない。日中戦争は一発の銃声によって始まったと言われるが、あの一発は日本側から撃ったと細川総理は思っているんだろうか、こういう問いかけから始まっているんですよ。そして、大変な数の人々が犠牲になった。
この方は上坂冬子さん、社会評論家の方でございます。その「思い出すだに腹が立つ」という本らしいですが、その一節の中に事の起こりは、貯金事務センターからの思いがけない通知書からはじまった。四十六万六千二百六十六円を支払うから、最寄りの郵便局にとりに行けとある。十年間の睡眠預金。中は省きます。どうしても欲しかったものがたまたま四十六万。それを受け取りに行く。しかし通帳がない。どうしようか。
私は、制度疲労という言葉は、この前も申し上げましたけれども、何のことかよう内容がわからぬということを申し上げたわけですが、この間何か読んでおったら、上坂冬子さんが金属疲労だということを言うた、それを内田健三さんが、それは金属疲労と言うのじゃなしに制度疲労と言うた方がいいというふうに言って、そういう言葉がはやったみたいな感じを私は受けているのですけれども、いずれにしましても制度疲労といいますと、疲労してない
ちょうど私は十一月二十六日の日本経済新聞の夕刊を見ておりましたところ、上坂冬子さんのコメントが載っておりました。ちょっと読ませていただきます。ちょうど二十六日ですから喚問のあった日の夕刊でございますが、「こんな喚問を繰り返しても仕方がない」「そもそも喚問は、もう一歩突っ込んで聞いてほしいところも見解の相違で片付いてしまい決め手がないもの。
だから、そういう中で総理の二百ウォンというのはもう本当に干天の慈雨だったということを文書の中にも書いていらっしやるし、また上坂冬子さんなんかの本などで、大変日本からの観光団がこちらの方に来て、そのときにお金を置いていく、まあお金がなくなって祈っていたら、そういう意味で大変たくさんなお金が入ってきて、ボーナスも一カ月分暮れに出すことができた、こういうことを言っていらっしゃるわけですが、この菊池さんも七十五歳
「現代の眼」というインテリ雑誌があるわけですが、これに上坂冬子という人、評論家のレポートがあるんですが、この中に、私も驚いたんでありますが、「父なし子を産む会」というのがあります。子供を、腹が大きくなっても、これは私の子供だとか中村さんの子だとか、そういうことはどうでもいいんだ、だれでもいいから腹がでかくなったら子供を産めばいいではないか。
「夕刊日曜」という新聞で、あなたは上坂冬子さんと社会党の松平忠久代議士と、この野菜問題について御討論になったことがおありですね。その御討論を私読んでいまして、実にあなたの御意見に私も敬服するのですが、参考までに御意見をちょっとここで披露さしていただいて、それに対しての農林省の御見解を聞いていきたいと思います。