1982-12-16 第97回国会 衆議院 外務委員会 第2号
今回いわゆる三陸沖合い、小笠原沖合い、この二漁場になりますか緩和をされているわけですね。それに伴う見返りはどういうのがあるのですか。
今回いわゆる三陸沖合い、小笠原沖合い、この二漁場になりますか緩和をされているわけですね。それに伴う見返りはどういうのがあるのですか。
そして、三陸沖合いから襟裳沖合いまではこれは統合実動演習であると。旭浜への上陸訓練はこの実動演習とは別であって、五十五年の訓練と全く同じあると。こう説明されている。それで町長さんは、五十五年と同じだということなら——旭浜は五十四年も五十五年もやっているんですね。例年どおりだということならば、先行き不安だけれどもやむを得ないだろうと言って了承をした。で、漁協の理事会でも協議をしたそうです。
○今村政府委員 御指摘のように、オットセイ委員会では、今後とも各国によります調査の継続が必要だということでございまして、わが国としましても三陸沖合い等においてオットセイの食性の調査等を実施してきたわけでございますが、さらにそれにつけ加えまして、五十五年度からは海産哺乳動物の基礎調査を実施いたしたいと考えておるわけでございます。
これに対しましては、御指摘の特定地域の中に秋田県一帯を入れまして観測を強化してきたのでございますが、三陸沖合いの地震は、起こります場所が海岸からはるか百キロとか二百キロの沖合いの海底下に起こりますために、いま御指摘の昭和十一年の金華山沖の地震であるとか、あるいは昭和八年の三陸沖の大地震であるとか、これ皆地震直接の被害はほとんどないんでございまして、津波の被害の方がはるかに上回ったと申しますか、津波の
その後逐次増加してまいりまして、多いときは七百隻ぐらい、ことしに入りましてから、これは二月までの数字ですが、百隻ぐらい北海道の南東岸から三陸沖合い、それから銚子沖合い、あるいはずっと下がって伊豆諸島付近にかけて、船団を組んで操業をいたしておるわけでございます。昨年の秋以降の状況といたしましては、例年どおり十月初めに北海道の南東岸に姿をあらわしました。
これも陳情が参っておるわけでありますが、御承知のとおり、最近三陸沖合いにはソ連の大型の漁船船団が出漁して操業を続けておるわけでありますが、その船団の操業によって付近の日本の漁船がしばしば被害を受けているわけであります。最近におきましては、このソ連の船団の操業の状況はどうなっておるか、ちょっとお知らせを願いたいと思います。
それから七ページ、これはソ連と韓国の日本近海に来ている漁労の実態が出ておりますが、これはいったいいっこういう状態を視認されておるのかちょっとわかりませんので、ソ連などは相当早くからわが北海道あるいは三陸沖合いに来ておりますから、わかりましたら年次別に、それから漁獲量等につきましても、ソ連などは発表しておる数字があると思うのであります。
その関連におきまして、一昨年以来北海道あるいは三陸沖合いにまで船団組織をもって出漁してきている。その対象となる魚種が、日本の沿岸漁業者の生活をささえている大衆魚、すなわち、イカ、サバ、サンマ、こうしたようなものを対象にしてその漁業を遂行しているわけでございます。最近における日本のサンマ漁業は低調でございまして、過去に比べますと、年生産四、五万トンの不漁、減産になっている。
、いま話が出たので私は聞いたわけでございますが、そこで、いまの時点においてはっきりしておきたいことは、要すれば、韓国の北洋の進出、いわゆるサケ・マス漁業の規制につきましては、日ソ漁業条約あるいは日米加三国漁業条約、こういう国際条約の建前からいって、日本政府は韓国政府に対して相当強く勧告なり意見を述べることができると思うけれども、しかしながら、いまの時点においては、韓国の底びきが北海道とかあるいは三陸沖合い
この図をごらんになっていただきたいのですが、三十四年三月に、関東地方に地震がなかったので、約四週間、この器械は全く何らの変化を示さなかったのでありますが、ちょうど三月二十一日に三陸沖合いに、福井地震よりもはるかに大きい地震が起こった。すなわち、マグニチュードという単位で言いますと七・五であります。
サンマの漁況は、御承知のように、北海道の東方沖合いから三陸沖合いまでに時期的に伸びてくるわけでありますが、それぞれ、生鮮向けのみならず、冷凍であるとか、カン詰あるいは圧搾、かす、それらのもの等の考慮もありまして、一番典型的な港として私どもは気仙沼港を考えたわけであります。
昨年の約二倍くらいの豊漁で、前途豊漁が期待できるのではないかと思われたのでありますが、しかしこのような暖流の影響は九月に入っても依然として勢力が衰えませんために、魚群がまとまりませんで、三十トン以上の漁船の、サンマで申し上げますと中堅以上の漁船が活動できるようになりまする九月の解禁日以降、依然として漁況はふるいませず、九月末ごろにおきます推定の水揚げ量は、北海道では昨年に比較すると約六〇%程度、三陸沖合い
主として三陸沖合いの調査をしたのでございますが、その時期はちようど有用魚族の回遊時期に当つておりませんでしたので、食餌も主としてはだかいわし程度の食餌しか発見できなかつた。本年はさらに北上いたしまして、ちようどさけ、ますの回遊時期に当ります三陸の北の方から北海道にかけまして、目下調査を進めております。
これによつて、北海道沖合い、三陸沖合い、九州西方海面を漁場とする、しかもこれが特定期間における漁船の操作が許されたのであります。翌二十一年の六月二十一日に、総司令部は、当時の逼迫しました食糧事情を考慮して、従来の漁区を約二倍拡張してくれたのであります。これが第二次の指定漁区でありまして、これによつて東部及び南部に漁区が相当拡張され、南西部にも若干の拡張を見たのは御承知の通りであります。