2017-04-21 第193回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号
一九六三年に防衛庁の武官、制服組を中心に極秘に行った図上作戦演習、いわゆる三矢研究が国会で暴露されました。戦時体制を前提とした言論統制など、憲法を全否定する研究を武官が行い、政治判断のシナリオまで用意していたことから、文民統制が機能していないと批判され、当時の防衛庁長官は引責辞任し、一九六五年九月には、防衛庁幹部二十六人が処分されております。
一九六三年に防衛庁の武官、制服組を中心に極秘に行った図上作戦演習、いわゆる三矢研究が国会で暴露されました。戦時体制を前提とした言論統制など、憲法を全否定する研究を武官が行い、政治判断のシナリオまで用意していたことから、文民統制が機能していないと批判され、当時の防衛庁長官は引責辞任し、一九六五年九月には、防衛庁幹部二十六人が処分されております。
○深山政府参考人 ただいま、いわゆる三矢研究についてお尋ねがありましたので、大臣の御答弁の前に、三矢研究について若干補足させていただきます。 御指摘の三矢研究は、昭和三十八年の統合防衛図上研究、これは御指摘のとおり、当時の統幕、統合幕僚会議事務局を中心に、有事における部隊の統合運用を中心課題として行われた幕僚の研究であります。 本研究は幕僚の研究でございます。
○福島みずほ君 三矢研究は、治安出動や有事のシミュレーションに関する情報、これは別表の一のイ、「自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究」に当たると思いますが、それでよろしいですか。(発言する者あり)
その後、自衛隊制度がある程度定着していく中で、昭和四十年に至りまして、当時、いわゆる三矢研究が大変な議論になった、それを契機としたものと思われますけれども、詳細は分かりませんが、自衛隊もやはり国の武力組織である以上、自衛官がその地位を有したままで国務大臣になるというのは憲法の精神から見て好ましくないとの考えに立って、自衛官は文民に当たらないとの解釈を示したところでございます。
その前にも、三矢研究をしたということで防衛庁の職員が処分をされたり、あるいはその後に、国連は田舎の森林組合のようなものだという発言をした防衛庁長官が引責辞任をしたり、そういう意味では、この国会の中でこういう議論が堂々とできる時代になった、あるいは国連の役割も大変重くなってきた、そういう時代の、戦後六十年たとうとしておる中で感慨深いものがありますが、特に総理におかれましては、先般、サミットでの各国首脳
この議論の際に、先生が「戦争を知らない子供たち」と言われて、私が学生のころはやった歌でございますが、そもそもこれを考えた昭和三十年代、三矢研究なぞというものがございました。その後、昭和四十年代、五十代、五十年、それはもう戦争を知っている大人たちが元々この法案は考えたものでございまして、全く荒唐無稽なものだとは私は考えておりません。
皆さんも御存じのように、昭和三十八年に、三矢研究という形で、防衛庁によってさまざまな有事法制の勉強も進められました。そして、昭和五十二年七月には、福田内閣によって有事法制についての研究あるいは勉強を進めるという指示が出されているということでございました。
三矢研究以来、私は四十年待ったんだ、本当に感涙にむせんでいるんだ、どうもありがとうと、私のところへまで祝電が来ました。私は、本当にその祝電を見ながらじいんときたんです。 我が国が、一九五三年にジュネーブ諸条約に加入しながら十分な国内法整備をしてこなかった。また、一九七七年の追加議定書についても、これまで締結することができなかった。
○小泉内閣総理大臣 この有事の問題になりますと、福田内閣時代から、できるだけ早く有事に備える法案、対応を日本としても整えるべきだという議論が行われましたが、なかなか、嫌なときを想定したくないという声もありまして、できなかったわけなんですが、実は、その前、昭和四十年、私のおやじが防衛庁長官のときに、三矢研究という事件が国会で大きな話題になったんです。
今までは、三矢研究から始まって、そういうふうなものがほとんど研究すること自体がタブーとされていたというふうなことを覚えています。それから比べれば隔世の感で、国民の一人として本当に有り難いというふうに思います。 ただ、もうあと何日かすると、もしかして参議院の方でも御審議が終わるようですけれども、今となっては遅いかもしれませんけれども、やはり法律論ですよね、国家の有事法制は。
一つは、御存じのとおり、昭和四十年二月の三矢研究において問題になり、関係者が処罰されたことであります。次の昭和五十一年というのは五十三年に御訂正を願います。昭和五十三年、栗栖統幕議長の奇襲対処、この発言がございまして、五十三年七月二十八日、金丸防衛庁長官のげきりんに触れて罷免をされました。
皆さん、ずばり、戦争するための立法だったら、一九六三年当時の三矢研究の方がよほど正直であります。政府や国会を無視した制服組による研究であったために大きな政治問題となりましたが、そこには、国家総動員体制に必要なすべてを網羅しています。
一九六三年の自衛隊制服組による統合防衛図上研究、いわゆる三矢研究は、朝鮮半島有事を想定して日米共同作戦を行う研究でありました。
○石破国務大臣 実は三矢研究と似たようなものではないかという御指摘であります。 三矢研究につきましては、これは私も、何しろ物が残っておりませんので、これが三矢研究だとかいうような、そういうようなジャーナリズムに書いてあるものでしか私は見たことがないので、真偽のほどはわかりません。
さて、有事法制の原型は一九六三年のいわゆる三矢研究だと思うんですけれども、あのときは、朝鮮有事を想定した日米による共同作戦、それに必要な法整備だった。
国際環境あるいは国民の感情というものも変わってきておるわけですから、かつてのように、三矢研究じゃないが、その場で、もうそれで、それ以後もうお蔵入りで、言った途端に首が飛ぶと。こういうことで思考停止の状態に追い込んだのは、政治の責任も私はあると。
三矢研究等々、ずっと長い歴史がありましたね。何かちょっとポイントを一言おっしゃってください。
正しく有事法制というお話がございましたし、私どもの認識もそうでございますので、先生がお話しになったのでそれにそのままお答えすると、やはり三矢研究はしちゃいけないと私どもは思っておるわけでありまして、やっぱり法律でお認めいただいてから準備をさせていただきたいと考えておりますと、こういうことでございます。
ずうっとたどれば三矢研究まで行くはずなんですよね。この場でいろいろな議論があったと思います。昭和三十八年だから三矢研究というのだそうですけれどもね。あれは、政治家にも内局にも一切相談せずにやったということは批判をされましたが、しかし、いざ有事のときにどう動くんだということを自衛官が自衛官として議論したということは、私は決して責められるべきものだとは思っていないんです。
あの一九六三年の三矢研究を発火点として、陰に陽に論争が続いてきた有事法制ですが、いよいよ政治日程にのりました。そこできょうは基本的なことをお聞きしますけれども、長官は、どのような状態のときを有事と思われますか。
そもそも歴史的に考えてみると、野党の皆さんに聞いていただきたいのですが、昭和四十年ぐらいに国会で問題になった三矢研究というのがありまして、それについて野党の皆さん方から相当の攻撃を食らってしまって、政治問題化されたという事態がありました。