1973-06-21 第71回国会 参議院 商工委員会 第13号
大阪曹達の松山工場についても類似の、高浜、和気、三津浜の三町の漁協が水銀使用の問題で一日休業して、この問題に処置しろという問題提起をしておるわけですが、新居浜の問題に限って私お伺いするんですけれども、一つは通産省に、この住化の問題について住化をクロと見ておるのか、シロと見ておるのか、あるいはこの問題はいまに起きた問題じゃないんだけれども、行政指導としてどうしておったかということをお聞きしたいと思います
大阪曹達の松山工場についても類似の、高浜、和気、三津浜の三町の漁協が水銀使用の問題で一日休業して、この問題に処置しろという問題提起をしておるわけですが、新居浜の問題に限って私お伺いするんですけれども、一つは通産省に、この住化の問題について住化をクロと見ておるのか、シロと見ておるのか、あるいはこの問題はいまに起きた問題じゃないんだけれども、行政指導としてどうしておったかということをお聞きしたいと思います
もう一つは、この辺にはこの会社だけでなく、伊豆三津浜と沼津を結ぶ航路を出願しておる三津観光船株式会社という会社があるのです。
本請願の要旨は、松山市新浜町地方は、高浜地区の約七割と三津浜地区及び和気地区の一部を占める地帯で八ヵ町約一千二百戸の定住者があり、かつ松山港唯一の中小企業地帯であり、造船造機を初め製材及び日本専売公社松山工場等があるが、同地方に郵便局がないため、地方民は往復一時間もかかる高浜局または三津浜局を利用しており、その不利不便は言語に絶するものがある。
ストロンチウム九〇を、生きているマグロを使いまして——実はこれは当時非常に人がおそれておりましたものですから、放射能の注射をすると言わずに、ホルモンの注射をするとうそをついて、生きているマグロに静岡県の三津浜の水族館でやったのでありますが、やってみますと、そのストロンチウム九〇は、うろことかひれとかえらとか骨とかそういうところにいきまして、筋肉の方には非常に少くしか入らないのであります。
ところがまず広島へ行つて、それから三津浜へ行つて、三津浜から八幡浜へ言つて来た。それが家族に知らされた。これが夕方になつておる。遭難のときから五時間も六時間も過ぎてからようやく通知があつたということなんです。
それが総出動してただちに沈没船員の捜査を開始するようなことになりますならば、あるいはこの五名の死亡者も死亡せずに、生存者のうちに入つておつたかもしれないのでありますが、地元の方へ何らの通報もせずして、わざわざ広島の方へ通報し、広島から三津浜へ通報して、地元の警察や家族に通報されたのはまさに午後四時であります。
電通局で現にとられている生理休暇は〇・六となつていて、交換に從事する少女らが、三時間休憩なしで交換台にいすわり続けるという状態でありまして、從つて四國逓信局管内要保護者調査が、昭和二十四年の一月現在におきまして、調査場所は松山、宇和島、大州、八幡浜、三津浜、今治、西條、新居浜、松山電信、松山電話、松山工事、松山無線工事、東部、中部、南部、高松、観音寺、多度津、坂出、琴平、丸亀、高松鉄郵、善通寺、高松電信