1967-06-29 第55回国会 参議院 社会労働委員会 第19号
日本一の優良鉱といわれた三池三川坑の入気口よりわずか千メートルの地点で大爆発を起こし、大量の一酸化炭素ガスを発生し、これが三川坑の全坑内、各切り羽に侵入充満して、坑内の労働者は一瞬にして倒れ、四百五十八名の犠牲者と八百名にのぼる一酸化炭素中毒患者を出すという大災害となったのであります。
日本一の優良鉱といわれた三池三川坑の入気口よりわずか千メートルの地点で大爆発を起こし、大量の一酸化炭素ガスを発生し、これが三川坑の全坑内、各切り羽に侵入充満して、坑内の労働者は一瞬にして倒れ、四百五十八名の犠牲者と八百名にのぼる一酸化炭素中毒患者を出すという大災害となったのであります。
地下爆発、落盤等の事故もたくさんありまするが、最大は三井三池三川坑のガス爆発でしょう。四百数十名の爆死、並びに数百名の白痴同様の者がいまだに病院生活であります。三池の現地では、三井の社長及び幹部こそが殺人罪ではないかと非難されていますが、大資本家三井会社側はいまだに刑事処分を受けていないのであります。
日本一の優良鉱といわれた三池三川坑の入気口より、わずか千メートルの地点で大爆発を起こし、大量の一酸化炭素ガスを発生し、これが三川坑の全坑内、各切り羽に浸入充満して、坑内の労働者は一瞬にして倒れ、四百五十八名の犠牲者と八百名にのぼる一酸化炭素中毒患者を出すという大災害となったのであります。
日本一の優良鉱といわれた三池三川坑の人気口より、わずか千メートルの地点で大爆発を起こし、大量の一酸化炭素ガスを発生し、これが三川坑の全坑内、各切り羽に侵入、充満し、坑内の労働者は一瞬にして倒れ、四百五十八名のとうとい人命を奪い去り、八百名にのぼる一酸化炭素中毒患者を出すという大災害に発展したのであります。
○川原政府委員 去る十一月の三池三川坑の爆発につきましては、御高承のように、その後数回にわたりまして調査団も派遣いたし、なおそれと並行いたしまして、監督局及び検察当局におきまして捜査をいたしておるわけでございます。
ききの国鉄三河島事故から今回の鶴見事故に至るまで、さらに続く数回にわたる連続する事故、一方、くしくも時を同じくして発生いたしました三池三川坑の大惨事、続いて起こったところの糖炭坑の爆発、との現実は、一切の弁解の余地のない、悲しむべき、憎むべき人災であることは、疑う余地のないところであります。
一行は、十五日に福岡に到着、福岡鉱山保安監督局長から災害状況を聴取、大牟田市で臨時三池災害対策本部長から善後処理を聴取、直ちに三池三川坑の災害現場を視察、犠牲者の霊に調査団として花輪を供え冥福を祈った後、三井鉱山、三新建設、三井建設と、三つの労働組合本部をたずねて、弔意と見舞いのことばを述べてまいったのであります。
災害の原因については、一般に炭じん爆発と見られるのみで、何ゆえ炭じんが爆発したか、何ゆえそうした爆発するほどの炭じんが存在したかについては意見まちまちでありましたが、三池三川坑の大斜坑で、まさかあのような大災害が起ころうとは夢にも考えられず、いずれかといえば、安心しておったところを、盲点をつかれ、虚をつかれて災害が起こり、災害規模も、用意のないためと、鉱員の入れかえ交代時であったことと相まって、きわめて
荒尾市の視察が終りましてから三池三川坑に入坑し、具さに坑内状況を見ることができました。三川坑は斜坑でございまして、人車で地下二千五百尺まで下り、坑内は有明海底になつており二里近く歩き、坑内作業の最先端である切羽の現場を見ることができましたのは、私達にとりまして貴重な経験であると同時に、又鉱害との関連上新たな認識を得、地下作業の実感を自ら体験したことは誠に有意義なものでございました。