1999-11-19 第146回国会 参議院 共生社会に関する調査会 第2号
低いところに合わせるんじゃなくて、何か基準が必要でしょうから、三村合併するとしたら、全部ゼロだったら何か目標値をつくったらいいと思うんですけれども、少なくとも今いた女性の比率を下回らないとか、そうでないと合併を認めないとか、私は少し国家権力を発動していただきたいと思っております。
低いところに合わせるんじゃなくて、何か基準が必要でしょうから、三村合併するとしたら、全部ゼロだったら何か目標値をつくったらいいと思うんですけれども、少なくとも今いた女性の比率を下回らないとか、そうでないと合併を認めないとか、私は少し国家権力を発動していただきたいと思っております。
実は、私ごとで大変恐縮でございますが、私の地元の滋賀県の甲賀郡甲西町というところは三村合併をいたしました。当時はわずか人口一万足らずの町であったわけでございますが、昭和三十七年、日本住宅公団に働きかけ、また御理解をいただいて、内陸工業団地として昭和三十九年から五カ年にわたって造成をしていただいて、そして四十年前半からいよいよ高度成長を続けていく日本の工業化の基本をつくっていただいた。
飛鳥村と高市村と阪合村が三村合併して明日香村ができた。したがって、明日香村は、在来の飛鳥の文化を守ろうということで、きわめて自主的に村民の方々が努力をしてこられた。私は飛鳥の歴史というのは、現在の明日香村だけではなしに、現在の桜井市にも橿原市にもずいぶん広がったものだったと思うのです。それは時代の変化の中で新しい市になって、特にそういう規制もないし、次々と近代化していった。
しかし、実際村民感情として、これは村民に限らず大体日本人というのはそうだと思うのですが、住みなれたところから、同じ村といったって昔あれは三村合併でできている村ですから、その第二種地区の方に行くということは、なかなか精神的にも大変なことだと思うのです。また、同じ村民であっても、隣近所で住んでいるのと比べて受け入れる側も気を使うことおびただしいと思うのです。
この清川村は昭和三十年、今から二年前に相当問題があったが、三村合併をすでに終っておる。
○田中委員長 本件については請願が提案せられる以前に、紹介議員より当局にも委員長と一緒に陳情したことがあるわけですが、三村合併が実現したときに、現在付近の集配事務をやつておる関係を調整して、浅野局に集配事務を開始することの方が適当である旨、その当時の答弁があつた関係もあるわけですが、特に三村合併が最近実現するようでありますから、その上で適当な考慮をひとつ願いたいと思います。