1954-08-12 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第58号
これは三宅市郎という東京農業大学の植物病理学の教授並びにその一門の方々が台湾から輸入された米で最初に動物実験をやり、また菌学的な方面をやり、有毒米というので当時の東京大学の総長を通じて委託研究になりました。食糧庁からの委託研究でありますが、それがきつかかりになりまして、私は結局その昔の黄変米の実験を終戦後の昭和二十六年の末ですか、七年ころまで動物実験を続けたのであります。
これは三宅市郎という東京農業大学の植物病理学の教授並びにその一門の方々が台湾から輸入された米で最初に動物実験をやり、また菌学的な方面をやり、有毒米というので当時の東京大学の総長を通じて委託研究になりました。食糧庁からの委託研究でありますが、それがきつかかりになりまして、私は結局その昔の黄変米の実験を終戦後の昭和二十六年の末ですか、七年ころまで動物実験を続けたのであります。
黄変米というものは戦前にすでにわが国においてわかつておりましたし、三宅市郎君という、現在七十何才のおじいさんですが、篤学の先生がまだ若かつたころから研究を始められたのがきつかけで、黄変米というのがはつきり学問的な意味で学名がつき、そうしてその生物あるいは人間なんかに対する作用がある程度研究の緒についたのは、昭和十五年以降であります。