1974-11-11 第73回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第4号
これは千葉県の市原市にある三井造船所で被破壊検査をしていました労働者がイリジウム一九二という工業用線源をあやまって落としてしまったと。そのまま気づかずにうちへ帰って、翌日通りかかった人が好奇心でもってそれを拾って自宅に持ち帰ってしまった。
これは千葉県の市原市にある三井造船所で被破壊検査をしていました労働者がイリジウム一九二という工業用線源をあやまって落としてしまったと。そのまま気づかずにうちへ帰って、翌日通りかかった人が好奇心でもってそれを拾って自宅に持ち帰ってしまった。
○原文兵衛君 もう一つ、やはり角田参考人でございますが、市原の三井造船所のイリジウムがどこかなくなったか何かしたというお話がございましたが、だれかがこんなようなもので持っていってどうのこうのというお話がございましたけれども、これはあれでございましょうか、私は全くよくわからないのですが、このイリジウム、これは一つの事故の例におあげになったのですけれども、原子力とどういうような関係になるんでございましょうか
先般も、ちょうどこれは私の選挙区のことで恐縮でございますけれども、三井造船所で、御案内のように、何かその辺にころがっていたということでしょう。そこで働いている従業員がやはり大量な被曝を受けて、四名の人は比較的軽くて済みましたけれども、一名の方は非常に重症だ、こういうようなことがあるわけですね。考えられないことなんです。
○説明員(鈴木春夫君) 大型船のトン数にもよりますが、現在非常に大きなクラスに属する船を作れるといわれておりますのは、長崎造船所、三井造船所、それから日立の因島造船所、佐世保船舶工業、それから神戸の川崎造船所——これはちょっと規模が小さくなります。それから横浜造船所、その程度でございます。それからもう一つ播磨造船相生工場でございます。
○久保参考人 私の場合は、普通高小を卒業しましてから、ちょうど戦争も激しい時分がありたので、岡山の三井造船所へ入りまして、終戦後国へ帰りまして、それからずっと農繁期にいろいろな賃仕事をしながら農業の方を手伝ってやっておりました。そして応募する二日前まではミカン畑の開墾の仕事を続けておりました。
何も三井造船所だけに八千万円よけいもうけさす必要はないじゃないですか。どうもここら辺はわれわれは釈然としない、何か疑惑を持つことがたくさんあるわけです。防衛庁はそういうことを、労働組合が強いところに対してはこういういやがらせをするということをしているでしょう。その結果がこういうふうに現われてきたのじゃないですか。
三井造船所に作らした一番艦は八億六千五百万円。それから、この間三菱造船所と契約したのが、三月十五日契約ですね、七億七千五百万円、プラスアルフアとして九百万円の保険料、これで契約をなすったのです。そうすると、この場合、一番艦と二番艦の差額が八千百万円差額があるが、この差額はどこから出たのですか。
三十四年度DDE型なんですね、護衛艦というのですか、デストロイアー・エスコート・ベッセル、その一番艦を三井造船所に委託しましたね。トン数で千四百五十トン、そのときの船価は幾らですか。
その相手方は、呉造船所、藤永田造船所、日立造船所、川崎重工業、播磨造船所、三井造船所、新三菱重工、この七社に対しまして入札の指名をいたしまして、入札させました。ところがいずれも予定価格に入りません。第二回の入札をいたしましたが、呉と藤永田以外は辞退をいたしました。
それで下り便のコースは、ここが宇野でございますが、この三井造船所の方がずっと西の方に回ってきます。そしてここがオゾノ瀬の西側、それからここが高松でございまして、非常にこちらでございます。ここで百二十度に変針して高松に向うわけでございます。
ちようど選挙で忙しいまつ最中で、三井造船所の所長の塙雄太郎と多分一緒だつたと思いますが、一緒に見えて、この仕事はもうかる仕事じやないけれども、地方のためにぜひやつてもらいたい。しかもこれはなかなか地方の人ね賛成を得ることも困難だから、発起人になつてひとつ斡旋をしてもらいたい。多数の從業員も不安に脅えておる。何とかこれを引継ぐような仕事をしてもらいたい。