1981-05-07 第94回国会 参議院 商工委員会 第8号
そして三井田川が四十四年に閉山をいたしまして、四十八年に石油ショックが起きましたらまた石炭を見直しやと、おまえのところの山を振れぬかと言ってきました。
そして三井田川が四十四年に閉山をいたしまして、四十八年に石油ショックが起きましたらまた石炭を見直しやと、おまえのところの山を振れぬかと言ってきました。
たとえば三井田川とか三井山野が水を揚げているというのは、一体何のために揚げているのか。じゃ、この会社が資力がなくなったら一体どうするのですか。一つの復旧の方法ですか、それとも暫定的な方法ですか。そういう問題を確立していかなければならぬのじゃないですか。
それから水位をある程度、抑えなければならぬという三井山野や三井田川の場合は会社の責任でやらしておる。どうも行き当たりばったりと言えば、はなはだ言葉が悪いけれども、一体、制度として乗せるべきではないですか。いろいろケースがありますというのは、赤水の処理の方法について、いろいろケースがありますというならば私はわかるわけです。
○北川説明員 先ほどのお答えの繰り返しになりますが、たとえば三井田川の場合にも三井が復旧義務を負っております鉱害田が近隣地域に相当存在しているわけでございます。したがって、これを三井が責任を持って鉱害復旧をする、その復旧のための諸経費と水を抜くための経費等とのバランスの問題というような検討も当然、議論に上ってこようかと思います。
————————————— 本日の会議に付した案件 小委員会設置並びに小委員及び小委員長選任の 件 閉会中審査に関する件 建築基準法の一部を改正する法律案(内閣提出、 第七十二回国会閣法第七五号) 請願 一 地代家賃統制令撤廃に関する請願(藤井 勝志君紹介)(第七八号) 二 同(田中伊三次君紹介)(第九六号) 三 旧三井田川鉱業所炭鉱住宅の改良促進に 関する請願
関する請願(新井彬之 君紹介)(第二五〇二号) 同月十二日 河川水利用税の創設反対に関する請願(鈴木善 幸君紹介)(第二九四七号) 住宅問題の抜本的解決に関する請願(土橋一吉 君紹介)(第二九九五号) 同月十三日 瀬戸大橋の早期着工に関する請願(加藤六月君 紹介)(第三一四五号) 山陽自動車道、中国横断自動車道の早期建設に 関する請願(藤井勝志君紹介)(第三一四六 号) 旧三井田川鉱業所炭鉱住宅
————————————— 昭和五十年十二月二十七日 建築基準法の一部を改正する法律案(内閣提出、 第七十二回国会閣法第七五号) 昭和五十一年二月九日 公営住宅法の一部を改正する法律案(二宮文造 君外一名提出、参法第一号)(予) 同月六日 地代家賃統制令撤廃に関する請願(藤井勝志君 紹介)(第七八号) 同(田中伊三次君紹介)(第九六号) 旧三井田川鉱業所炭鉱住宅の改良促進に関する
さあ掘れというので、しかも立て坑方式だというので、北海道もそうだし、九州でいえば三井田川あるいは山野、みんなそれぞれに立て坑を掘ったわけです。六百メートルの立て坑を掘ったわけですが、掘ってみたらば、田川では小断層に全部ぶつかってしまって全然ことにならない。山野では大焼層に当てたんですが、これが火山作用を受けておってほとんどものにならないというようなことがございます。
それから三井田川にも起こってきたわけです。私案は炭鉱に資料もらって調べてみましたが、山野鉱では三十五年当時三・三三立米あげておったものが、三十八年閉山の当時になりますと七・二立米になるわけです。四十年になりますと八・三九になる。四十二年になると一六・六七、こういうように非常に飛躍的に増加してくるわけです。
○滝井委員 揚水の設備が、たとえば三井田川に例をとりますと、電力と管理費等の設備費四千八十三万が、今度四十一年には八千十九万、四十二年になると一億三千三百五十万、こういうふうに要るわけです。それで設備をしますと今度水がざあっと早くやってくるために、設備をしたポンプを上に上げざるを得ない事態が起こってくるわけです。そのポンプは大きな能力にしていないわけです。
たとえば、われわれのところで言えば、多賀谷さんのいま質問をした三井山野とか、あるいは三井田川なんというところは、当時、第一次の有澤調査団の少し前までくらいは、だれも閉山するとは思わなかった。何十億という金をかけてドイツのシーメンスから立て坑を持ってきて、そうして東洋一の立て坑だといって観光にまでなっておった。ところが、ある朝、夜が明けてみたら、もはや炭鉱は閉山だ、こういう実態です。突然変異です。
同じく三井田川関係では、大籔小学校、これは児童生徒数が六百十八で、生活保護、準要保護合わせて二百五十二、四〇・八%、こういう数字であります。ここは昨年の旅行児童生徒数が九名、ことしはさらにふえていると思います。
これは何も三井田川の問題でなく、小倉炭鉱もある。今度明治鉱業も出てくる。高松炭鉱にも出てくる。みんな九州至るところに出てくる。だから、ひとつぜひ積極的に自治省の協力を得たいと思うのです。ほんとうはきょうは永山さんに来ていただいてハッスルをちょっとしてもらいたいと思ったのです。しかし、永山さんがいらっしゃっておらぬものですからあれですが、ぜひひとつ大臣に伝えておいてもらいたいと思うのです。
それから第二会社の者についても、具体的な例をあげて申しわけでございませんが、たとえば三井田川ですね。三井田川等は第二会社に行く数が千人をこえておったわけですよ。ところが全部やめてしまって、セメント工場、タイル工場等には希望者が殺到しておるわけです。ところが、第二会社には希望者がいない。
これは私詳細に質問をして、議論をして、それぞれ北海道なり九州の山で落ちたもの、それから三十八年度では合理化の計画の中にはのぼしておるけれども、実質的には予算の関係その他があって三十九年度に繰り越すんだ、たとえば三井田川炭鉱のごとく繰り越すんだということで、実質的にはこういう数字というものは全然出ていないわけですよ。
○遠藤説明員 三十八年度新規求職者が当初計画三万四千四百が六千六百ふえて四万一千になりますと申し上げました、その増加の理由の一つに、ただいま滝井先生のお話のように、当初第二会社に千名予定しておった、たとえば三井田川、山野あたりから三池に配置転換を予定しておった、そういうものが当初計画より配置転換なり第二会社に移る人が減りまして、相当数が求職者としてあらわれるような結果に相なっております。
こういう鉱員養成所は、たとえば三井田川のごときは、最近やめちゃったのですよ。とてもこういうものはやれませんといってやめた。三井田川はやめたけれども、他の山では復活が行なわれているのですよ。こういう点は復活をしてやっても一体だいじょうぶなものかどうかということです。
たとえば三井でいえば、相当の金を三池に入れていく、したがって三池に金を入れるから三井田川、山野から三池に相当の配置転換ができます。したがって、首を切るのはよけいに切らなくても、第二会社でここは何とかやっていけます。こういうように関連してくるのです。ところがそれを設備資金のほうはということになると、三池に設備資金が入らなければ山野、田川は引き取れません。
そういうことで、かりに三井という日本の石炭企業の中で相当なウエートを占めている大きな石炭企業が、この三井田川であるとか、あるいは山野であるとか、あるいは北海道の美唄であるとか、こういう悲能率炭鉱は逐次これをスクラップしていって、そして三池、芦別、砂川というところにビルドを集中していきたいということでございます。
たとえば、今当面しているのは、大正炭鉱とか、あるいは三井田川とか、あの大手筋の山すらもう追い詰められておる。そういうときに、夏までに基本計画を立てて、それから対策を立てますと言われるのは、まことにお粗末で、ほんとうに答弁になりません。昨年から何であれだけ、この炭鉱の政策の転換が国会で取り上げられておるか。まことにその答弁については不満です。
そうすると、ただいま三井、三池のように一万六千人もおる、あるいは三井田川のように七千人もおる、夕張は五千人もおって、たくさん坑口があるけれども、しかし、その率では監督員がおらないような気がするのですが、そうした例を三つ四つ示してお知らせを願いたいと思います。
さらに三菱の大夕張あるいは三井田川、さらに住友赤平、今度の茂尻炭鉱の六十名の災害になったわけであります。実はこの炭鉱は、昭和十年にも九十五名の死者を出しております。さらに昭和十七年、さらに昭和二十五年、二十六年と今度の災害、こういうことになりました。われわれ実は現地に参りましたけれども、全く悲惨の限りでございます。もとの災害で御主人がなくなり、またその後再婚されて新しい主人がなくなっておる。
三菱の大夕張の爆発がございまして、さらにまた六月に入りましてから三井田川の爆発がございましたので、当局といたしましては、もちろん十分な監督を加えておりますけれども、さらに経営者に対して一そうの努力を求めるために、本年の六月三十日に通商産業政務次官から石炭協会の会長を呼びまして、厳重なる警告書を手交いたしまして、将来の善処方を要望した次第でございます。
又三井田川の二百名中、一割三分五厘が是非酒が欲しいと申して、後はあつてもよし、なくてもよしで、三十年勤続者は絶対禁酒家でありました。次は思想につきまして一言申しますと、私が数ケ月見た主婦は、寢ても起きても上着はモンペ一枚限り、外出の時は隣りの赤ン坊ではない、三才の子を背負わして貰い、ねんねこで寒さを防ぎ、みすぼらしい様子を隠します。この家は子供三人の五人暮しで、月に一斗は必ず闇米を買います。
(第一八二号) 二七 水道敷設費國庫補助の陳情書 ( 第一八四号) 二八 災害防除施設工事費國庫補助増額の陳情書 (第一八五号) 二九 國府縣道補修費國庫補助の陳情書 (第一八九号) 三〇 民間住宅建設資金融通に関する陳情書 (第一九三号) 三一 地すべり対策に関する陳情書 (第二〇四号) 三二 群馬縣の水害復旧に関する陳情書 (第二〇七号) 三三 井田川改修
少くとも三井田川で何年かの経驗を持ち、そうして大三井田川を代表して出場した人物ですから、完全な経驗を持つ技術者であつたことは間違いありません。併しながら、我流を以て無駄な所へ労力の浪費をして、そうして本当にこつを覚えていないところに、今申上げたような開きがあるのであります。要するに、昭和二十年に二十万四千五百三十六人で三千百三十七万六千何トンを出炭した。