1999-03-15 第145回国会 参議院 国土・環境委員会 第5号
三鷹市とやはり共通した苦悩だと思うんですけれども、まず大臣、この三ノ輪ですけれども、荒川区の件については聞かれたことありますか、御存じですか。
三鷹市とやはり共通した苦悩だと思うんですけれども、まず大臣、この三ノ輪ですけれども、荒川区の件については聞かれたことありますか、御存じですか。
それから、残り三つが営団の一部区間でございますが、込んでおりますところを申し上げますと、千代田線の町屋-西日暮里が二一七%、丸ノ内線の新大塚-茗荷谷が二一六%、日比谷線の三ノ輪-入谷が二一一%というような状況になっております。
そこで、公団の方では最近都心になかなか高家賃の超高層住宅を建設しておるようでございますが、例えば大川端リバーシティであるとかリバーピア吾妻橋ライフタワーとか成城通りパークウエストとかカストール三ノ輪とかポルックス三ノ輪とか、大体こういう建物が三LDKで二十六万から二十二万、二十三万、二十一万、こういう家賃ですが、これは今申し上げたようなことからそういう方向に公団の重点を移しかえた、こういうふうにとっていいんですか
さらに、今度は地下鉄三号線について伺いますが、浅草−三ノ輪間の延長、特に千束方面にこれから駅を設置していかないと、あそこは都バス路線が廃止される、こういう計画等も進められているわけで、住民は大変な不自由な思いをすることになるわけでございます。
○山田(芳)委員 それなら、王子から三ノ輪橋へ行っている東京都の三ノ輪線なんというのがありますね。あれは不採算路線なんですけれども、再建団体になってない。要請がなかったからしなかったというのかもしれませんけれども、そういうことを言うとほかにもあるということであります。 時間がございませんので、最後に大臣にひとつ。
それからもう一つは、やはり現在、それまで入っておりました旧本店が三ノ輪にございまして、非常に古くなっております。また狭隘であり、まあでき得ればその地区に本店を建てる、こういうことも可能なわけでございますが、旧店舗の所在地はきわめて狭隘で、当該地に適地を求めることがむずかしい、こういうことで、中野への本店の移転を要望してきた。こういうふうな点が第二の申請の理由になっております。
発生の日時は、四十四年六月十一日の午前四時ごろでございまして、お手元にリコピーの資料がございますので、リコピーの資料の地図をごらん願いますと、京成電車の町屋停留所、それから三ノ輪−王子線の町屋二丁目電停の近辺の路上で爆発事故が起こりました。
上野北警察署の前あたりまでは、非常に道幅も広いのだし、三ノ輪の交差点の手前までは十分幅があるのですから、当然できないことはなかった、そういうふうに私どもは思うわけでありますけれども、この点、重ねて建設省のほうの考え方をただしておきたいと思います。
本人の住所は台東区三ノ輪の柴田ということになっておるのでございますけれども本人はそこにおりません。 そこで、もう一つ手がかりとしてお示しをいただきましたわけですけれども、上野署に傷害事件で逮捕されたことがある、こういうことでございました。
居住地には、今申しましたようにおりませんし、それからどこに行ったかということを、三ノ輪の出張所等で調べてみましたところ、転出先は二回ほど申し出ておりますが、どうもそれはあいまいだということで、転出の手続もしておりません。従って、住所不定と申すほかないのであります。現在どこにおるかわかりませんので、だれかに監禁されておるかどうかということもわかっておりません。
○志賀(義)委員 どうもいろいろあるようですが、きょうは簡単に、この傷害事件だけお伺いをすることにいたしますけれども、ただいま住所はわかりませんと申しますが、泊まっておったというのは、台東区三ノ輪八十一番地柴田儀作方でございますけれども、三月八日の夜、石黒は台東区三ノ輪の荒川荘というところに泊まっております。それは御存じないのでございますね。この荒川荘には、ある人と一緒に泊まっております。
そして、いろいろ実際工事をやった場合にどうか、先ほどお話がございましたが、たとえば例の三ノ輪の下水のごときは十分調査したのでございます。実際に方方試掘もしたのでございますが、実際問題としまして、非常に漏水が多い、といていそのままいけてやるなんということはできぬというようなこと。
それから八号線と申しますのは、小田急沿線の喜多見方面からずっと原宿、都心を通りまして、三ノ輪方面に至る路線でございまして、一方では小田急の混雑を何とかして救済する、一方では常磐線の混雑を緩和するというふうな意味を持っております。
この事故に直接関係ありと思われます職員は、関係の列車、電車の機関士、機関助士、車掌、三河島駅の助役、信号掛、三ノ輪信号所の信号掛等十二名でございます。ただいま、このうち五名が逮捕せられまして、司直の手で糾明をせられております。
それが間に合わない場合でも、南千住駅と事故現場とのほぼ中間に三ノ輪信号所があるのでありますから、そこで停車できるはずだったと考えます。これができない場合でも、発炎筒をたく等の緊急措置もあったはずであります。ところが、これらの措置が一つもとられていなかった。事故現場はカーブのところでもありましたし、その上夜間で視野がきかなかった上り電車は、猛スピードで突っ込み、二重衝突となったのであります。
これは北千住、阿佐ケ谷、道玄坂、銀座、三ノ輪の五商店街、八百七十店について調べたそうでありますが、この中で、トラックを持っておるものが六三%、そうしますと、どの程度かというと、五百五十四店でありますから、少なくとも一店一台としまして五百五十台の車があるわけであります。そのうち、車庫のあるものは百五十でありますから、差引大体四百台が、この地区だけでも車庫がない、こういうことなんです。
それから第二号線関係、青い線でありますが、これは北千住が始発になっておりますが、途中から先に手をつけまして、南千住—三ノ輪を一番先に手をつけまして、南千住—三ノ輪と三ノ輪—仲御徒町、つまり南千住—仲御徒町が三十六年二月竣工の予定になっております。これで北千住がちょっとあとになりましたのは、国鉄との駅舎の関係か何かで相談がおくれたとかいうような話も聞いております。