1970-09-08 第63回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号
しかも、今日に残る歴史的景観は、かつて万葉集にうたわれた歴史、風土をいまだ数多く存しておるということで、国民の心の故郷といわれるゆえんにもなっているわけでございます。 で、この地図でごらんいただきますと、御案内のとおりでございますが、まず大和三山というのがございまして、この地図の一番上にございます耳成山、それから右のほうの天香具山、それから畝傍山、これが大和三山といわれるものでございます。
しかも、今日に残る歴史的景観は、かつて万葉集にうたわれた歴史、風土をいまだ数多く存しておるということで、国民の心の故郷といわれるゆえんにもなっているわけでございます。 で、この地図でごらんいただきますと、御案内のとおりでございますが、まず大和三山というのがございまして、この地図の一番上にございます耳成山、それから右のほうの天香具山、それから畝傍山、これが大和三山といわれるものでございます。
○佐藤(観)委員 いま土井議員の発言にもございましたけれども、山中総務長官にちょっとお伺いしたいのですが、昨日の参議院の公害対策特別委員会で、いま問題になっております田子の浦の汚染の問題について御答弁があったわけでありますが、御存じのように、田子の浦というのは、万葉集の田子の浦ではいまはなくして、ごらんになった方々は多いかと思いますけれども、船というのは浮かんでおるというよりも、ベニヤの板の上に模型
次に、北九州の洞海湾の問題に入りますけれども、その昔この洞海湾は「くきのうみ」として万葉集等にもうたわれて、その優美な眺望がいろいろと取りざたされていたすばらしいものであったわけでございますが、今日は全く死の海といわれております。そこには砒素とか、シアンとか、カドミウムなど、有害物資が充満しておりまして、工場排水のため池といわれているほどの状態になっているわけでございます。
○受田委員 万葉集をひもとくと、開巻のまず初めに、二十一代雄略天皇の御製が出ておる。「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます兒 家聞かな 名告らさね そらみつ やまとの國は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 我こそは 告らめ家をも名をも」という長歌が出ておる。
万葉集を見れば、その中には庶民の歌というのはずいぶん入っているが、庶民の歌の中にはいろんな歌があり、そういう一体古代人のものの考え方というようなものを総合的にして、こんな考え方があるというならば、話はわかる。そういうものも取り入れなければならぬということは、多少わからぬこともない。しかしながらですね、どうして一体これとこれとこれをしなけりゃならぬか。
あいまいな形容詞を——万葉集を論じているわけではありませんから、率直に言えばいいじゃないですか。
これは万葉集にもそういうことばはありません。庶民にわからせるためには、これは沖繩総督です。それをごまかそうとするのは、私は間違っておると思う。そういうことで、国民に国を守る気概ができ、決意ができたならば、沖繩の返還は早まろうと総理は言われましたけれども、国を守る気概というものは、国民が民族的誇りを持ち、聡明であることが必要です。何より賢いことが今日一番重要なことです。
それが大宮土壇といって、大宮という名前でもあるし、それから万葉集によりますと、藤原宮は畝傍、耳成、香久山の三山のちょうど中間のかなめのところにあるということもありますので、その土地はちょうどそこにあるだろう、文献の上からいってまずそこに間違いなかろうということで発掘を始めたわけであります。 それで大宮土壇から、まず大極殿のあとと思われる礎石があります。
もしあそこに工場ができたりあるいは近代的ないろんなものがつくられなければ、ほんとうに昔の景観が残って、先ほど先生方お三人が希望されましたように、ここを国有地として別にこれに何ら手を加えなくとも、依然として竹内先生のおっしゃったように田畑にしておいて、特に国有であるから何らかの特別な措置の中できょうの現状のままで置いたほうがいいというふうなお話があったのですが、私どももそういうふうに考えておりますが、いわゆる万葉集
というのは、子供の教育のために万葉集と並んで、万葉、藤村、泣菫、何人かのすぐれた日本の詩人と並んでわれわれが心のかてにしておる宮沢賢治君のこの「雨ニモマケズ」のすぐれた詩をもじってコマーシャルに使っておる。その詩が厳粛であればあるほど、われわれの憤りは深いわけであります。また、ある種の下剤に使っているコマーシャルに至っては、もう世にも奇妙な女性の声を出しまして人を挑発する。
ところが昔は、学校というところは、魅力ある人生のいろいろなできごとを、最も魅力のないような形で教えるのが学校でございまして、たとえば万葉集の歌を一つ教えますのにも、青年の心に一番理解しやすい歌、中には相聞の歌などはなるべく省いて、そしておもしろくない歌、索莫たる歌を無理に集める。学校の唱歌でもそうでございます。
こういう書き出しで、日本書紀、万葉集、そうした古典について書きまして、あるいは神童正統記とか、そのおもな作品の「内容を熟読玩味されますときには真に我々の精神をみがき、感奮興起せしめるもの、そして目の前にある幾つもの困難なる問題を一刀両断に批判し得る所のものは正に幕末先哲の遺文であろうと思ひます。」そして藤田東湖とか、橋本景岳とか、いろいろなことが書いてあります。
しかし、この村は各所から古代の住居跡の炉が発見せられ、土器や石器も発掘せられ、四千年以前から人類が住んでいたことが想像せられる土地でありまして丹生川という名前も、明治八年万葉集にある柿本人麿の歌からとったということでありました。本校も、明治十四年に旗鉾小学校として発足しておるのでありまするから、歴史的にも相当古く、現在児童生徒の数は、小学校百五十名、中学校六十七名、計二百十七名。
○纐纈委員 先ほど淡谷先生は非常にうんちくの深い、しかも撃ちてしやまんの例をお引きになりましてお話しになりましたが、実はあの当時撃ちてしやまんというのは万葉集にも盛んに出ておりますが、大体神武天皇様の東征された一番の根本は、ことむけやわすのです。話し合って、話しがつかぬ場合には、どうしても刃向ってくる者はやむを得ず撃ちてしやまんの気持を持ってきておられるわけなんです。
また万葉になってくると、これはまた非常にやわらかいところが出ておるのでありますが、この万葉集の中にも、古い古事記、日本書紀に出てくるような時代の歌がたくさん出てきておる。二十一代雄略天皇の御製が一番先に万葉集に出ておりますが、それを見ましても、第一巻に上げてある雄略天皇の御製のくだりには、その当時の皇室のあり方を具体的に示した文句がある。
これは、万葉集あたりを見ましても、たとえば、高橋虫麻呂が読みました万葉集の「富士の歌」によりますと、「日本の大和の国のしずめともゐます神かも」、こう歌つておりますがごとくに、遠い昔から富士山を神と仰いでおるわけであります。
○前田(榮)委員 前に証人は、神体山の歴史的な関係から万葉集に出ておる歌の一首を例にとられて、また今ここにお写真を出されておるのでありますが、いずれも神体山という宗教の精神といいますか、宗教の信仰があることは認められる状態でありますが、これがはたして今の日本の国民感情に適合いたしておるかどうかということになりますと、いろいろ議論が出て来ると思います。
○吉川末次郎君 君が代が国歌として歌われておるということは、思想的に考えまするならば、丁度あれは万葉集の歌だそうでありますが、海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍、大君の辺にこそ死なめというところの思想と共通いたしておるものであります。
而も道後温泉は太古より広く人に知られておることは御承知のごとく、それを史実に見ますると、風土記、万葉集、源氏物語の古典の記録に明らかにされておるのであります。かくて浴場はいずれも豪壯典雅な日本趣味豊な建築物であり、郊外遠近には名所旧跡多く、夏目漱石の「坊ちやん」で知られ、正岡子規の遺跡を初め高濱虚子と俳諧の都として高い文学的雰囲気も感ぜられておるのであります。
しかも道後温泉は太古より広く人に知られ、その史実は、風土記、万葉集、源氏物語の古典の記録によつて明らかであります。かくて浴場は、いずれも豪壮典雅な日本趣味ゆたかな建築物であり、郊外遠近には名勝旧跡多く、観光客遊覧の悦楽境として、あらゆる條件を具備しておるのであります。
万葉集巻の一の歌に、「人妻ゆゑに我恋いひめやも」とあります。精神的の恋というものは肉欲的な姦通とは区別することを要するのでありますが、妻の姦通は、外よりの相姦者たる男性の婚姻破壊、エーヘ・ブルフなる侵害行為に重点を置くべきであります。 第三、対世権侵害と風俗を害する罪について、婚姻は契約であります。