2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
祖父・河野一郎は、戦時中に軍部に反対して非推薦で立候補したり、逮捕されて選挙中牢に入れられたり、戦後も除名されたり、離党して八人の侍で戦ったりと波瀾万丈の政治家でした。まともに公認をもらって選挙をやったのは、最後の数回しかありません。だから不遇のときも卑屈にならず胸を張れ、ということなんだなと思います。 第三に、仲間を大切にしろ。
祖父・河野一郎は、戦時中に軍部に反対して非推薦で立候補したり、逮捕されて選挙中牢に入れられたり、戦後も除名されたり、離党して八人の侍で戦ったりと波瀾万丈の政治家でした。まともに公認をもらって選挙をやったのは、最後の数回しかありません。だから不遇のときも卑屈にならず胸を張れ、ということなんだなと思います。 第三に、仲間を大切にしろ。
最後になりますけれども、ほかにも、京都府北部の綾部市、これはアパレル事業で大変有名なグンゼというのがあるんですが、このグンゼについては、創始者の波多野鶴吉、その妻のはなの波乱万丈の生涯について、これをまた広く紹介したいということで、同じように、朝の連続テレビ小説での誘致活動を行っておりますので、地方創生のためにも、NHKとしてぜひ取り上げていただきたいと思います。
思い返せば、国会議員であった祖父野田卯一の支援者とのご縁から始まった政治家としての道のりは、波乱万丈でした。昭和六十二年、岐阜県議会議員選挙に二十六歳で初当選。その後、平成二年の衆議院議員総選挙での落選を経て、平成五年の総選挙で初当選を果たしました。以来九期連続で当選させていただき、その間、郵政大臣、消費者行政推進担当大臣、自由民主党総務会長、総務大臣など、数多くの役職を拝命させていただきました。
それから、綾部市にはアパレル事業で有名なグンゼがありまして、その創始者、波多野鶴吉と、その妻でありますはなの波乱万丈の生涯を広く紹介するために、朝ドラの、朝の連続テレビ小説の誘致活動を行ったりしております。 そういうことで、非常に、こうした取組といいますのは、やはり余り注目されていなかった魅力ある地域が多くの目に触れる機会がふえる、それによってまた地域の励みになると思います。
波乱万丈の人生をたどった経験から、まずマクロ的に申し上げますと、この組織は、生きた化石に近い、シーラカンスとは言いませんが、よき時代を余りにも謳歌してしまった結果が、今、政府による農協改革という名のもとに試練を受けている状態ではないでしょうか。農協改革は、農家、農協が時代の変化にフレキシブルに対応してこなかった結果、起こるべくして起きてきたと思います。
終りに波乱万丈のわが道を共に歩んでくれた妻恵子と家族に感謝し、御礼の言葉といたします。 ………………………………… 大畠 章宏君の挨拶 本日、院議をもって、永年在職表彰の栄誉を賜りました事に対し、厚く御礼申し上げます。すでに旅立たれた皆さんもおられますが、熱心にご指導を頂きました諸先輩、そして、今日までご支援を頂きましたすべての皆さんに感謝申し上げます。
この方の波乱万丈の生涯を描いた、そういう「八重の桜」というドラマになるということでありまして、これからますます会津への関心が高まり、観光客も多く来ていただけるのかなと期待をするわけでありますけれども、残念ながら今回の大震災で大変な観光風評被害で、また農産物等も影響を受けて出荷が減ったということであります。
最後に波瀾万丈の道を一緒に歩んできてくれた妻と家族に心からお礼を言いたい。そして二十五年を振り返り、あらためて初心に立ち戻って今後とも進んで参ります。 ………………………………… 川端 達夫君のあいさつ このたび、永年在職議員の表彰を賜りましたことは、誠にありがたく、また身に余る光栄であります。
そこで、まず総理、総理におなりになったのが去年の九月二十六日で、総裁になられたのが九月二十日だったと思いますけれども、五か月何日で、まあ大変激動の、波乱万丈とまではいきませんが、大変な五か月ちょっとであったと思います。いろんなことがありました。
お尋ねでございますから率直にお答え申し上げたいと思いますが、私も結構波乱万丈の人生渡ってきたと思っております。父が戦死しておりましたので母親一人でございました。十六、七のころ、そして戦後の当時でありますから、やはり母親一人の家庭というのは随分苦しい家庭でございましたから、母親のそうした背中は見て育ったつもりであります。
このように、わずか十年にも満たない歩みを振り返っただけでも、日本の金融行政の歴史はまさに波乱万丈、過去の金融行政が時代の波に翻弄されてきたことがわかります。 私は、そうした混乱の中にあっても、九八年のある時期、ここにもいらっしゃる先輩方が、党派を超えて、本来あるべき金融再生スキームを模索し、一定の到達点に立たれたことを知っております。
なお、ベアテさんは、この調査会関係で来日されましたほか、平成十年には高松市女性センター主催の男女共同参画推進講演で憲法草案作成に係るお話をされ、万丈の大きな共感と感動を呼びました。これは、憲法を見直す上での大きな足場と考えます。 次に、テーマにつきまして、私の意見を述べさせていただきます。
真島一男君は、昭和七年十月二十八日、新潟県長岡市に生をうけ、その壮健な体格を生かし、サッカーなどのスポーツに興じ、また、親思いの優しい心をはぐくみながら、多感な少年期において万丈の人生の原型を形作られたのであります。
○小泉内閣総理大臣 私が、十五日に韓国を訪問し、そのような談話を記者の前で述べ、以後、金大中大統領とお会いし、わだかまりなくこれからの日韓友好を考えようと、実にいい雰囲気のもとに首脳会談が、今回、わずかな期間でありますが、三回行われまして、私自身も金大統領の波乱万丈の生涯、一度は死刑を宣告されながら大統領にまでなられた苦難の歴史、まさに尊敬すべき人物であり、お互い胸襟を開いて、これからの日韓友好のためにいろいろなことを
この高田屋嘉兵衛の、江戸末期になりますか、淡路島出身で北前船で函館を拠点に北方海域の漁場の開拓なり、あるいは北海道の産物を本土に運ぶという、いわゆる海運業として波乱万丈の人生を送った豪快な日本男子という方だと伺っております。これをやはりドラマ化するに当たって、いろいろな方々からサジェスチョンを我々は受けております。
ここに、波乱万丈に富んだ異色の政治家、木暮山人君のありし日のお人柄と数々の業績をしのび、院を代表して、心からの御冥福をお祈りし、哀悼の言葉といたします。 ─────・─────
波乱万丈だろうと思いますけれども、動いている流れはそういうことであろうというふうに考えます。
ところが、いまは波乱で、日本の財政を中心に国がひっくり返るかもわからぬという波乱万丈のときに、既得権益をいかに守るかなんということを言っておると危ないのですよ。自分の脚下が崩れるのですよ。
(拍手) 日米間の二百海里漁業専管水域における漁場、漁獲問題の解決を初め、日ソ漁業交渉においても、北洋漁業の隘路打開について、本院代表として万丈の気を吐く御活躍をされたことは各位の御承知のところであります。
長老という肩書きに何かいいところがあるとするならば、それは、ここ数十年の波乱万丈の歴史を自分の目で見、耳で聞き、身をもって体験したことでありましょう。 私は、大正デモクラシーの時代に青春を過ごしました。昭和に入ると、悲惨な不況と失業が待っておりました。この昭和恐慌とともに暗い政治の反動化が始まり、軍部が政治の実権を握り、中国への侵略戦争に進みました。