1947-12-08 第1回国会 参議院 鉱工業委員会 第29号
從來の議會制度で言いますならば、第一議會から第二議會に移すことには賛成だという大體の氣持があつて、ただここだけは修正をしなければならない、こういう氣持でありまするから、そういう氣持を深く御理解がありまするならば、修正案だけの一條が通つて、後全部が否決されるということは本則としてはあり得ないことだと思つております。
從來の議會制度で言いますならば、第一議會から第二議會に移すことには賛成だという大體の氣持があつて、ただここだけは修正をしなければならない、こういう氣持でありまするから、そういう氣持を深く御理解がありまするならば、修正案だけの一條が通つて、後全部が否決されるということは本則としてはあり得ないことだと思つております。
特に第九十議會、第九十一議會におきましてもこの請願は採擇されておるのでありますが、採擇のみで實際にはこれが還元というものは未だ一つも許されていないようでございます。
それから日程二八、文書表五五六號は請願一五八號と同様でありまして、長崎縣川棚驛と有田驛を連絡する國營バス運行の請願については、第九十一議會で採擇されたのであるが、同地方の輸出陶磁器、薪炭等の重要産業の開發上、急速に國營バスの送行を開始されたいというのであります。御採擇を願います。
○田中(源)政府委員 黒澤尻、花巻く間の村崎野信號所を一般驛に昇格の請願でございますが、これは九十一議會で衆議院の採擇になりまして、政府におきましても調査いたしましたが、請願趣旨の御要望になつておりまするのは、信號所を現在の位置から北方約一キロ半に移轉の上で一般驛に昇格せよということであります。
昭和二十年十二月、九十一議會においてもその緊急性を認めまして、請は採擇せられておる次第であります。殊に終戰後の地方の平和産業の振興は、新生日本の建設に重大な關係を有するものであります。
○水谷國務大臣 ただいまの御意見は、なかなかむずかしい問題でございまして、社會黨といたしましても、第九十議會、第九十一議會におきまして、自由黨の石橋さんが大藏大臣をやつておられましたときにも、勤勞所得税のある程度の免税點の引上ということも唱えて修正案を出したのでありますが、當時の石橋大藏大臣は、それをお容れになりませんでした。
各位が御承知のことや九十一議會、九十二議會の前内閣當時、自由黨、進歩黨、社會黨の御了承を得まして、私どもが農事協同組合法案なるものをつくつたのであります。これは申し上げるもでもなく、農業の民主化をはかり、日本の國の農業の發達を來そうという心構えからこれをいたしたのでありますが、遂に審議未了に終つてしまつたのであります。
東京以外の大都市の特別市制または都制の法案として提出を見るに至りましたのは、これが最初でありますが、以後政府または議員より、ほとんど毎議會に特別市制の法案は提出せられ、しかも常に審議未了となり、この運動も今次の戰爭に至つて中絶し、ただ東東都制のみが、昭和十八年第八十一議會に上程せられて成立し、東京都制の實施を見るに至つたのであります。
九十一議會におきまして、水産に對する融資を二十三億七千萬圓に決定をして、その程度を二十二年度いつぱいに支出するということは、しばしば議會の委員會において言明されたのであります。現在の支出額は、それが約半額に達するか達しないかという程度でありまして、しかもその中には一つの大きな基本漁業會社等に融資がされて、一般の漁船等の融資がそれに搾られて、大衆が苦んで少數のものがうまくやつておる。
このうちすでに第九十一議會と第九十二議會におきまして、昭和二十一年度の追加豫算の財源に充當いたしました金額は、十六億四千六百萬圓に相なつております。
このうちすでに第九十一議會と第九十二議會におきまして、昭和二十一年度の追加豫算の財源に充當いたしました金額は、十六億四千六百萬圓に相なつております。
これにつきましてはすでに九十一議會におきまして、事業承諾案を提出いたしまして、その承諾を得たわけであります。以上が大體、昭和二十年度についての終戰に際してとりました決算的な處置の大體でございます。數字その他につきましては、御質問によりまして調査の上御報告申し上げたいと存じます。
○坂東委員長 ちようど本日は第九十一議會の地方制度委員長でありました中島守利君が來ておられますから、中島氏からこの點に關しまする御意見を拝聽いたしたいと思います。