1976-05-13 第77回国会 参議院 社会労働委員会 第4号
たとえて申しますと、あるいは手足が不自由であっても語学の能力の達者な人については翻訳の仕事をするとか、そういった面の教育を重点的にやって、そういう仕事をしてもらうような教育をする、あるいは数理的な才能のある人は、たとえばいまのコンピューターのプログラマーとか、そういう仕事に向くような、高等学校の過程ですでにそういう準備を進めていく、こういうことをしていただければ、高等学校の一般普通課程を卒業して、それからさて
たとえて申しますと、あるいは手足が不自由であっても語学の能力の達者な人については翻訳の仕事をするとか、そういった面の教育を重点的にやって、そういう仕事をしてもらうような教育をする、あるいは数理的な才能のある人は、たとえばいまのコンピューターのプログラマーとか、そういう仕事に向くような、高等学校の過程ですでにそういう準備を進めていく、こういうことをしていただければ、高等学校の一般普通課程を卒業して、それからさて
○松永忠二君 お話しになったのは、何というか、総合高等学校ということで、普通課程もあれば産業課程もある高等学校において、産業課程に関係する人たちだけが手当の対象になるのに、一般普通課程の人たちはこれがもらえないということはやはりアンバランスになるんじゃないかということ、お話のとおりだろうと思います。
ただ一般普通課程においても、その教育の内容について申上げますならば、全般的の制度として、ともかく中学校とこれを比較した場合に、専門的教育を施す、こういうことは非常に強くなつておる、かように理解しておるのであります。
いずれも高等学校であつてそこには何ら人格教養の面においても、高等学校の目標といたしましては、一般教養とかそれから職業的な教養、それから個性の進展と、三大目標があるにかかわらず、現在それを等閑に附しておる方面に向うという点は、何となしにこれは一般普通課程に進んだほうが見榮もいいし、将来も何とかなるだろう、こういうような考え方じやないか。