2006-06-06 第164回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第2号
しかしながら、駐車違反を何回かやることによって点数がなくなって一家が路頭に迷うというケースもたくさん世の中にはあるわけでして、罰を与えなきゃいかぬというのは、これはこの社会の成り立ちとしてあるかもしれぬ、しかし、そのことによって一家路頭に迷うほどの罪なのか。私は、これはいろいろな議論があると思うんですよね。
しかしながら、駐車違反を何回かやることによって点数がなくなって一家が路頭に迷うというケースもたくさん世の中にはあるわけでして、罰を与えなきゃいかぬというのは、これはこの社会の成り立ちとしてあるかもしれぬ、しかし、そのことによって一家路頭に迷うほどの罪なのか。私は、これはいろいろな議論があると思うんですよね。
一方で、取引先や債権者は一家路頭に迷っても仕方がないという、非常にある意味、非倫理性を含んだ制度なわけですね。 ですから、最低資本金制度というのは、この有限責任を享受する株式会社という制度を利用するという人に、そういう言わば責任と厳しさがあるんだよということを教える貴重な教育効果があると、こういう指摘があるわけですね。
「株主が有限責任という特権を享受する株式会社とは、破たん時には大資産家の株主も投資額以上は責任を負わず、取引先や債権者は一家路頭に迷っても仕方ないという、いわば「非倫理性」を内包した制度である。株式会社法の歴史はこの問題との格闘の歴史である。そもそも起業時や順調経営時ばかりを強調してはいけない制度なのだ。」と言った上で、「最低資本金制度は株式会社制度利用者に制度の意味を教える貴重な教育効果もある。
ところが、日本の場合に、もし破綻した場合にどうなるかというと、一家路頭に迷うか、もしくは自殺することになってしまうようなことがあって、ですから今までの商慣行というのか融資行為というんでしょうか、そういうふうなものはもう少し変えていくべきであろうと思いますし、従来、私はそういう方向に御答弁をいただいてきたような気がいたします。済みません、これ以上話をしていても平行線なのかもしれないので。
拘束されていなくても家じゅうが隣近所からも親戚からもそれこそ村八分にされて長い年月の社会生活を終わったときには、そのために会社から首を切られる者もあるだろう、そして一家路頭に迷っている人もあるだろう。そういう非拘束の場合、おまえは監獄へ入っておらぬので補償せぬでもいいじゃないかということは私は理屈が合わぬと思います。
そのためには、先ほどの総理府の御報告書というのは、これは尊重してもらわなければならないし、熟読玩味しなければならぬところだと思いますが、この中にありますところの一番大事なところは、被害者が実に貧しいということ、一家路頭に迷っておるというその姿がありありとこの中に浮かんでくるわけなんでありますから、すみやかに大蔵省は、その実態に対応して、新しい保険金引き上げの策を策定してほしいと思います。
○内村清次君 それはですね、総裁、なぜあなた方の調査を拒否したかという点は、これはあのときに話し合いもつかずにあなた方は職権をもって強行調査をやる、もしこの調査をされたならば、あなた方と青山委員長及びまた数人の委員会の人たちはこれは馴れ合いだ、これをやられたならば自分たちは首が飛んでしまう、一家路頭に迷わなくちゃならぬ、こういう心境から恐らく話し合いをやって下さい、組合と十分話し合いをやって、そうして
さらに、何人かの家族をかかえ、まだ働ける者はよろしいが、子供をかかえて一家路頭に迷うというような事例がたくさんある。だから、こういう点に対してはっきりと御認識を願って、そうして政府の処置としてはやはり少額災害も生かす、今度の場合においてぜひともこれを取り上げてもらいたい、この点を強く私は要望いたします。
従つて、事故に遭遇して船が失われまする場合に、一家路頭に迷うという事例なきにしもあらずと考えるのでございます。さもなくば非常に高利の金を借りて船を新造するという状況でございます。木船事業の保護育成という見地から、この保険制度を普及する。それには国が再保の援助を与えるという必要があるかと考えまして、目下大蔵省と交渉中でございます。
諸君が七百名以上も一挙に首を切られて非常に氣の毒だ、今首を切られたら一家路頭に迷う以外に再就職の道もなかなか見つからぬし、たいへんなことになる、これはぜひともひとつ首にならぬように鬪つてもらいたい、ところで鬪うについては分裂をするといつも負ける、私はここの爭議の模樣をよく知らぬが、多くの爭議に当つてみると、分裂が一番敵だから、分裂をしないように、最後まで一致團結をしてやつてもらいたいと言つたことを覚