1994-02-28 第129回国会 参議院 決算委員会 第1号
ところが、そういう方々は、本当に一体貧乏というものがどういうものか、日本は高度成長以来ほとんどそういうことがないものですから、本当に貧しいとか苦しいとか、そういうことはなかったと思うんですよ。実感はないけれども、感覚の上で物を言われるんですからね。はあ、なるほどこういうことかなと思っていました。 それから連立政権がおできになって、七党一会派が政権をおつくりになった。
ところが、そういう方々は、本当に一体貧乏というものがどういうものか、日本は高度成長以来ほとんどそういうことがないものですから、本当に貧しいとか苦しいとか、そういうことはなかったと思うんですよ。実感はないけれども、感覚の上で物を言われるんですからね。はあ、なるほどこういうことかなと思っていました。 それから連立政権がおできになって、七党一会派が政権をおつくりになった。
そういう連中に、一体貧乏したことがあるかと聞いてください。貧乏な人の立場では、一割や二割の負担が診療を受ける機会を逸し、健康を回復し命を保全する機会を逸することになるのです。たいていそういう意見を言っている連中は、何らかの地位を持ち、相当の生活をしている人です。そんな人の意見ではなしに、ほんとうの国民の心に返ってそういうことを考えていただきたい。
そうすると、日雇健康保険というものは、主として低賃金の労働者が集まっている保険なんだから、国で見ていこう、こういうことになれば、一体貧乏人だけを保険にしておくということで保険として成り立っていくかどうか、こういう問題になる。それならば、これは健康保険に加えたら、こういう発展が出てくるのです。
私の記憶によりますると、たとえばイギリスにおいてもたしか貧乏調査と申しますか、低所得者層の調査をヨーク・シティでありますか、あそこで一九三六年にバスケット方式による調査をやりまして、一体貧乏世帯というものはどのくらいあるかということを調べたところが、これが一七・何パーセントかであった。
こういうことで一体貧乏の追放ができるでございましょうか。その点について一つお伺いしたい。
一体貧乏の線はどこに引くか、これはいろいろあると思いますが、わかりやすいのは所得でいくのが一番いいということになると、さっきもちょっとお尋ねして、また尋ねかけたところでありますが、一応今法律の上でそういうものを判断するものとしては、厚生省の所管になっております生活保護法の中で大都市、地方都市あるいは農村というものを区分けをして、法律でいろいろけじめをつけてきておるわけであります。
しかし、簡単に三悪の中に貧乏を入れると、一体貧乏な人はどうしたらいいのでしょう。今、総理も言われたように、貧乏な先生でも、きたない服を着ている先生でも、非常に大きな教育をしている。それから、貧乏な人の中にも、清貧に甘んじて、汚職をした金持よりもよっぽどりっぱな人がたくさんあります。
わが党がかねてからその主張をして参った考え方を、そのままお使いになっていると思うのでありますが、一体、貧乏をなくす前に、貧乏とは何ぞやということをほんとうにおわかりになっているかどうか、きわめて疑問であると思うのであります。神武以来の景気と言われておりますが、国民の大多数である労働者、農民階級は、少しもその恩恵を受けておりません。
まず大臣にお伺いいたしたいのですが、よく普通言われる貧乏という言葉がございますが、一体貧乏というのはどういうことを言うのであるか、貧乏の概念規定につきましての大臣のお考えを率直にはっきりおっしゃっていただきたい。
あなたは一体、貧乏人とか貧しい者と言いましたね。貧乏人とか貧しい者という定義をどう解釈をしているのですか。金持ちとはどういうものをさしているのですか。一体、五万円の収入を得ている者でも、十人の家族のいる者は、一人当り五千円ずつです。それがもし住宅がないなら、この人こそ住宅困窮者だとわれわれは認めているのです。