1978-06-23 第84回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第25号
私は、そういった科学的という意味で、一体学問がどういうふうになっていくのか、この辺につきまして先生の御見解を承りたい。
私は、そういった科学的という意味で、一体学問がどういうふうになっていくのか、この辺につきまして先生の御見解を承りたい。
大体、交通学者というのが運賃論というものをやりますけれども、運賃論というのは一体学問なんだろうかというような疑問さえ言う人がおるわけでございます。そういうようなことを前提にいたしますと、私は一つだけはっきり申し上げられることは、運賃というのは政策的に決めるべきものだということで、それでよろしいのではないかと思います。
そういった点もこれはひとつ研究しなければいかぬのじゃないかという気がいたしますし、プランクトンから魚に入って魚から人体に入るというようなこともあるでしょうから、そういった点は一体学問的にあるのだろうかどうだろうか、私も寡聞にして知らないのでありますけれども、その辺お答えを願いたいと思います。
これは一体学問をする環境だろうか、こう思うようなところもいろいろございます。また、現実の政治問題につきまして、いろいろな行動が行なわれているわけでございます。
ああいう中で一体学問の自由があるのか、あるいは大学の自治があるのか。それよりもまず暴力行為を警察力を導入して排除するということをやって、そして大多数のまじめに勉強しようという学生の教育研究の自由を守り、あるいは静かに研究を続けようとする、そういう教官を守っていくことこそ私は学問の自由、大学の自治だ、こう思うわけなんです。
どういう一体学校を出て、どういう一体学問を専攻して、どういう著書があってというようなこと、これはあたりまえじゃないですか。
○大出委員 教育大学のある学部の学部長さんその他のお話を聞きますと、いま研究環境というお話がありましたが、学問をする環境というものは一体学問的にどう考えるかという一つのテーマがあるわけですね。その面からいきますと、学生さんというのはやはり社会人の一人なんですね、特に大学ともなると。
そこで、文部大臣にお尋ねをいたしますが、一体学問の自由と大学の自治というものは、どういうことを意味するものであり、また、どれだけの限界があるものであるか、お尋ねいたします。
教育学を習うについても、一体学問としての教育学になるのか、技術としての教育学になるのか。たとえばよく目的大学の中のあれには教育原理という科目があるそうだ。これは教育学者の間では教育原理なんていうものは一体あれはどこにあるのですか、学界が。そんな学界どこにあるのだという話があります。
その前提でお尋ねしたいと思うのですが、先ほど来、研究所から出された「案内」というのを読ましていただいたのですが、どうもこれを見てひとつわからないことがあるのですが、アジア経済研究所というのは、一体学問的な立場で経済の全域にわたって調査をし、そしてそれをまとめて資料とするのか。
その場合に一体あれですか、それを文部大臣が覚えておるほどの学者でないとか、あるいは国立の大学教授として高給をはんでいるくせにというようなことを言うということは、一体学問に対する圧迫ではないですか。学問の自由というものを一体侵害しようとする態度にはなりませんか。この点をひとつ。あなたの好ききらいは別ですよ。
とするならば今後における日米文化、教育の交流という問題をめぐって、そこには一体学問の自由なり研究の自由というものをどういうふうにして日本の政府は守っていくか。今、外務省に聞いてみましたら、それをコントロールする力は外務省は待たないとおっしゃる。
実験をするということが一体学問ですか。たとえばガン患者から血液をとって、無菌状態でアミノ酸基に培養するということが、学問ですか。じょうだんじゃないですよ。学問じゃない。これは一つの技術でしょう。それを一体なぜ厚生省は、これは学問であるから行政の中に入れてやれないと言われるのですか。そんなものは何でもないことじゃないですか。たとえばガラス張りの部屋をこしらえておいて、そしてこれを完全消毒する。
問題が一体学問の自由あるいは研究の自由ということであるのか、そうでないのか、そこの境目のところはなかなかむずかしい問題でございまして、ともかく学問なり研究の自由というものは、われわれも尊重しなければならぬと思います。これを逸脱するということになりますれば、御注意を申し上げなければならぬということになってくるわけであります。
そこで、そういうような専門家が集まった会議機関にすぎない調査会に諮問をされて、そうしてその調査会がどういう一体学問的の実験結果の、身体についてあるいは鮮魚についてあるいは食肉について、どういうような結論的の答申ができるとお答えになるか、あるいは食品衛生調査会が何かはかの方法を考えて、ほかの機関にこれから依頼するのであるかどうか。その辺のことを伺いたい。
○小野義夫君 この第二条の「自主的にこれを行うものとし、」という点が非常に私は問題があると思うのですが、一体学問はいろいろな、自主的だの何だのということはないので、国際を超越してめいめいの学者が総合して研究していくのであって、日本に特に学問上の自主的というようなものはあり得ないと私は考えます。
この原子力の平和利用研究に関しまして、すなわち原子炉及び濃縮ウラン等の受入れに関しまして、日本の科学者たちは研究の自主性というようなことを主張されておりまするが、一体学問は経済文化と同じような、また信仰の自由のように、国境を越えて自由平等であるべきはもちろんでありまするのみならず、自主性というがごとき個性を科学の上に持ち出すということはおかしなものであり、普通の科学の世界でも、たとえば発明特許に属するようなものにつきましては
それから第三に我々として伺いたいと思つたのは、この原子核分裂或いは熱分裂というのですが、水爆実験というものについての従来の科学上の所見というものは極めて不十分だつたということが福龍丸の被害でわかつたということは、申すまでもなく予想されていなかつたところの影響があつた、予想されていなかつたところの影響があつたというのは、一体学問上どういう範囲にそれが及ぶものであろうかということについては、まだ明らかでないと
やはり具体的な事実によつて判断をするということになるのではないかと思うのですが、そういうようなわずかの経験の中から判断いたしまして、これこれの争議行為はこの法律に触れるとか、あるいは今いわれております公益福祉との調和をそこなうとかいうような仮定の事柄を、争議行為の禁止事項に加えるということが、一体学問上できるものであるかどうか。
一体、学問の自由と学園の自由の権利はどこにあるというのでしよう。メーデー、五月三十日のあの血塗られた大彈圧の計画的殺人を見て下さい。国民の声はこう叫んでおります。「俺たちに死ねと言うのか。俺たちに死ねと言う権利を誰が持つているというのか。議会は一体何をやろうというのだ。」單独講和以来、国会に対する請願陳情の権利すら奪つて、ピストルと鉄兜で固めているではありませんか。