1998-03-17 第142回国会 衆議院 法務委員会 第4号
それで、どのくらい一体余裕があるのかというようなことになるわけでございます。 それをお聞きする前に、本日は預金保険機構の方から来ていただいておりますので、まず預金保険機構の方にお尋ねしたいのです。 先日、金融機関二十一行のキャピタルインジェクション、資本注入が承認されたところでございます。状況を見ておりますと、初めに四行が承認されて、その後十七行が承認された。
それで、どのくらい一体余裕があるのかというようなことになるわけでございます。 それをお聞きする前に、本日は預金保険機構の方から来ていただいておりますので、まず預金保険機構の方にお尋ねしたいのです。 先日、金融機関二十一行のキャピタルインジェクション、資本注入が承認されたところでございます。状況を見ておりますと、初めに四行が承認されて、その後十七行が承認された。
○参考人(米原淳七郎君) 国と地方とどちらが一体余裕があるのだろうかという話は私は非常に難しいと思っております。と思いますのは、国というものと地方団体というものとはそもそも性格が違うということがあると思います。 国の場合は後ろに日本銀行が控えておりまして、まず国が破産するということはあり得ないんですね。
その結果にかんがみて、あの電信電話公社法制定の当時に議論があって結局削除になった、こういう経過があるわけですから、そういった点もひとつ十分に肝に銘じて——電信電話事業は、今後の展望を考えたときに資金的に一体余裕があるというふうに判断されますか。
さて、あのときに佐々木委員からマヤゲス号事件を事例として挙げましたのは、この事前協議に対して返答する場合に、わが方として一体余裕があるのかどうかということを実は伺いたかった。
ところが市中金融の金利が下がってくると、これはコールにも運営ができなくなってくる、さらにまた金融機関への貸し付けも困難になってくると、一体余裕金の運用がどうなっていくかということが最大の問題になってくるわけです。
○近藤信一君 中小企業者、中小企業者といわれるけれども、これは私の質問のときにもよくお尋ねしようと思っておりまするけれども、中小企業者は、大臣、この間うち中小企業の法案に対しても答弁しておられて、よくまたここで長官の答弁も聞いておったのですが、中小企業に今日この学校へ入れて勉強させようという一体余裕があるかどうか。
○岡三郎君 やはり運輸省として料金の値上げをするということになるというと、やはりそういうふうな問題点についても、やはり与論がかまびすしいわけですから、一体余裕があるのかないのかという問題点がここに出てくると思うのですよ。
○説明員(前田充明君) 体育協会の中にそういう意見があることは、私もはっきりとそういう意見がございますということを申し上げるほどよく存じてはおりませんですけれども、実はこの資金財団に一体余裕ができるかどうかという問題につきましては、先般も、本年度に入りましてから急に分村をどうしてもしなくちゃならぬということで、約二億八千万という金が必要になってきた。
現在地方の相互銀行あたりは——最近でも相互銀行を集めて、一体余裕金をどういうふうにするかというような問題でやられておると思うのです。この点、やはり金融政策というものはタイミングが大事だという考え方に立って私は今言っているわけです。その点あなたは、これはやらぬというのかどうか、そこをもう一回聞きましょう。
農林債券を、なぜ一体余裕金があるのに発行するのか、私はよくわからないのですが、どういうわけですか。むしろ、私からするならば、公庫の方が債券を発行する方がほんとうじゃないか。長期資金を調達するという意味で公庫の方が債券を発行すべきであって、中金が余裕金がありながらさらに債券を発行する必要性がどこにあるか。一体、去年あたり債券をどのくらい発行して、どういうわけでそれを発行するのか。
そういうようなことに関係して、私はここで本省の予算と在外公館の予算のところで、それらに関して十分にそういうような突発的なことが起っても、そういうようなことをし得るというような一体余裕があっておるのかどうか、これは多分そういうつもりでおやりになっておるのでしょうけれども、特に気になるものですから、本省の外交運営の問題、あるいはまた、在外公館の外交運営の充実に必要な経費などというようなものは、割合少いのじゃないかというような
たまたま私は、逆にもし大臣がそういうお考えの教育課程の改変を考えるとすれば、それこそ一カ月くらいの一体余裕をおいて、ある意味においては戦後に行われた新教育の全面的修正を考えるような教育課程を実施をすると、それから同じような計画を持った現職教育をおやりになるとするならば、それこそ時間的な余裕として不十分である。もっと慎重な態度でこの問題は処理をされていくべき性質のものだと私たちは思う。
その数がある程度多いときには、団体加入電話の運営といたしまして、相当経費がかかったり、あるいは局線が一本でなくて、二本、三本要る、それだけの一体余裕が公社の方にあるかどうかというふうな問題、経費の問題その他をいろいろと考え合せまして、結局、現地の方たちと公社との間において最もいい運営の措置はどうなるかという相談がそこに行われることになるというふうに私どもは考えております。
従って、財政の論議におきましても、非常に実態の論議が多過ぎて、制度の論議があまりないわけで、そういう点、非常にわれわれ遺憾としておるのでございますが、そういう観点から、一体余裕財源というものを制度的にどこに始末しておくのが健全な財政を運営する上においていいか、おそらくこういう構想を編まれた政府といたしましては、そういうなんかの考え方がありまして、いや、それはこうするのだという構想がおありだろうと思うのでございますが
○野溝勝君 私はものを引掛けようという意味で聞いているのではないのでありますから、ざつくばらんに申上げるのですが、それは私の見解が正しいのでして、あなたは非常にそこにデリケートな、何と申しますか表現を用いておりますが、当事者としてはその点、もつとすつきりしてもらいたいと思うのでありますが、と申しますのは、一体余裕があればというけれども、今も私は話しましたけれども、一万有余の農協団体の中で、完全にやつているという
○佐多忠隆君 只今の大蔵省のお話ですと、代替施設の事業費等々については平和回復善後処理費、或いは安全保障諸費等々から何か若干のものが考えられはしないか、考えるつもりだというような御答弁だつたと思うのですが、併しこれは主計局長もちよつとお話のように、そういう一体余裕がこの経費の性質上そういうことができるのかどうかという問題と、もう一つは、実際上平和回復善後処理費等々から代替施設の事業費として考えられているような
それから又これ以上行政整理をやる一体余裕があるのかどうか、こういう点について伺います。
さらに、減税になりましたところの金額の費用の押え方につきましても、一体余裕のある国民生活をしておられる人々は、減税になつたがために、いろいろなものを購入するためには、それだけ便宜が與えられるでありましよう。しかし多くの勤労大衆は、服がほしい、着物がほしい、シャツがほしい、ワイシャツがほしいといつても、はたしてそうしたものを買い得る余力が今日あるでありましようか、ありません。