1962-05-04 第40回国会 参議院 議院運営委員会 第21号
その後、ヴィエンチャン駐在の日本大使館員が、ヴァンヴィエンより戦禍を避けてポンホンに避難してきた中国人が、六月七日ごろまでにヴァンヴィエンにおいて一人の日本人に数回会ったと語っているとのうわさを聞き込み、この中国人に会い、辻議員の写真を見せて確認いたしましたところ、ヴァンヴィエンにいた日本人が辻議員であったことはほぼ間違いないとの印象を得たということであります。
その後、ヴィエンチャン駐在の日本大使館員が、ヴァンヴィエンより戦禍を避けてポンホンに避難してきた中国人が、六月七日ごろまでにヴァンヴィエンにおいて一人の日本人に数回会ったと語っているとのうわさを聞き込み、この中国人に会い、辻議員の写真を見せて確認いたしましたところ、ヴァンヴィエンにいた日本人が辻議員であったことはほぼ間違いないとの印象を得たということであります。
で、どうもヴィエンチャンでは、ヴァンヴィエンの話、そういったものから、そこにいたことはわかるが、シェンクヮンに行ったのであろうか、シェンクヮンからハノイを経て中国に入ったというような話、まあいろいろな話があるけれども、とにかくシェンクヮンにいたのかどうか、シェンクヮンからどこにどういうふうに行ったのか、そこがひとつはっきりすると、ある程度次の手がかりが得られるのではないかという希望があるように思うのですが
ヴァンヴィエンで昨年の八月に得た情報等につきましても、そこにございまするが、これは六月ごろ日本人に会ったという中国人が出てきたわけでございますが、その人にその写真を見せて確認したというようなことも、これはなかなか苦労をしての上でのことでございます。さような点で、その後におきましてもいろいろな「つて」を求めて辻議員の消息に関して調査しておるのであります。
今日までいろいろな手だてを尽しまして、でき得る限りの情報を集めてみたのでありますが、ラオスのヴァンヴィエンにおきまして、辻議員とおぼしき黒せびろの日本人に会ったというシナ料理店のおやじがあり、それを通じてまたいろいろその先等も見たという程度でありますが、私どもが知っておりまするところでは、某国際機関の責任のある人が、その人ならば中共に行ったのではないか、こう言っておる程度のことを聞いたのでございます
その後、八月二十四日に至りまして、前に申し上げた通り、別府大使からヴァンヴィエンにおいて辻議員に会ったと称する一中国人よりの情報を入手いたしましたので、同議員がおもむかれた公算の多いと思われるシェンクーアン地区について情報を入手するように手配しておりましたところ、某国際機関を通じまして、十月三日付をもってシェンクーアン所在の最高権威筋より得た情報を入手いたしました。
ところが、六月七日前後の期間にヴィエンチャンとルアンプラバンの中間にございますヴァンヴィエンというところで日本人に会ったという中国人がおることを耳にいたしました。大使館の方からその中国人に会って辻さんの写真を見せて確かめましたところが、御当人であるということを認めたそうでございます。
○説明員(安川壮君) 先ほど申し上げましたように第三国人の、中国人が言っておることはほぼ確実と思われますので、六月七日までヴァンヴィエンに健在であったということは、ほぼ確実と見てよろしかろうと思いますが、その後の情勢については、これは何とも申し上げかねますが、それまで無事におられたということから判断しまして、私どもとしては、生命に何らかの危険が生じたとは判断しておりません。
その後引き続いて在外公館には極力消息を調べるように訓令しておきましたところが、八月の末になりまして、ラオスの別府大使よりの報告によりますと、一中国人がパテト・ラオ地域のヴァンヴィエンというところで辻議員らしき人に会ったという聞き込みがございましたので、その中国人についていろいろ状況を聞いてみましたところが、確かに辻議員と思われる方に自分はヴァンヴィエンで会った。