1961-02-22 第38回国会 衆議院 外務委員会 第5号
○高木政府委員 ただいま西村先生がおっしゃいました松原さん、それからアマゾンにおられます辻小太郎さん、この二人がヴァルガス大統領との話し合いで、最初の日本人の移住のワクをとられた、これは非常に大きな功績でございまして、これは、われわれ日本におる者もブラジルにおる者も一様に非常に感謝をいたしておる次第でございまして、今度の移住協定ができました一番大きな基礎は、やはりこの二人が作られたといってもいいと思
○高木政府委員 ただいま西村先生がおっしゃいました松原さん、それからアマゾンにおられます辻小太郎さん、この二人がヴァルガス大統領との話し合いで、最初の日本人の移住のワクをとられた、これは非常に大きな功績でございまして、これは、われわれ日本におる者もブラジルにおる者も一様に非常に感謝をいたしておる次第でございまして、今度の移住協定ができました一番大きな基礎は、やはりこの二人が作られたといってもいいと思
戦後のブラジル政府の傾向といたしましては、昨年なくなりましたヴァルガス大統領の意向もございまして、主として未開発地の開発に力を注ぐことになったのでございます。つまりアマゾン流域を中心といたしまするアマゾンの川の注ぐ範囲内、九つの州がありますが、その九つの州に向ってできるだけ集中して未開発地を開発する。
たとえば六月十八日の英文毎日を見ますと、ヴァルガス大統領からだいぶ広大な土地をもらった。そこで五千家族入れるというので、大統領の秘書であるアルヴェスというのに百万円の献金をした、それが暗殺の費用になって、大統領の反対派の暗殺の費用に使って、その責めによって大統領が自殺した、こういうことが出ているのであります。
六月十三日の朝日新聞にも出ておりましたが、例のアマゾン中流のドラドスの松原移民の問題ですが、この人が前に自殺したヴァルガス大統領と親友だというので、マットグロッソ州のドラドスに広大な土地を獲得した。そうして第一期松原移民は約二百家族を日本の各県庁で選考しております。そうして日本政府から渡航費の援助を受けて入植したのですが、脱出者が続出をした。
それから六月十三日の新聞に出ました松原移民につきましては、この松原氏は御説の通り終戦後ヴァルガス大統領から五千家族の日本人入植の許可を取りつけてくれた功労者でありますけれども、彼のやりましたことは不幸にして一応失敗といいますかけちがついたような形になっておるのであります。その理由は先ほどおっしゃられました通り、第一には自分の企業の失敗もあります。
私はヴァルガス大統領と自殺する二週間前に会った際に、ヴァルガス大統領は、よく来てくれた、君を待っておった、実はアマゾンの支流のグァマ川を日本の農民にやってもらいたいのだ、これは水田のできるところで、ぜひ一つ超党派的にやってくれということを申されたのでございますが、いかにアマゾンは原始林が多くても、われわれは今原子力を使っていろいろな農業政策その他をやり得る時代になっておるのでございまして、多数の日本人
一つは、公けの仕事のための失敗、一つは、彼の個人企業の失敗、第三には、生命まで賭けたヴァルガス大統領の死、これが一番大きく彼の精神的方面には作用をしたと判断されるのでありますが、この三つの悪条件が重なりまして、いわゆる神経衰弱に陥って企業をする能力もなくなったような状態であります。
これは外務省としても十分検討をなされておると、こう思うのでありまするが、昭和二十七年に四千家族の移民のワクを当時のヴァルガス大統領からもらって日本に報告をもたらしたのがこの松原氏であります。
そういう状態が若干続いておる間に、例の松原氏がヴァルガス大統領と非常に個人的にじっこんの関係があったので、ことにこれは私が仄聞しておりますので、真否のほどはよく知りませんが、選挙の関係についても陰となり、ひなたとなり援助したので、ヴァルガス大統領が論功表賞の意味で、何か欲しいものがあったらやろうと言ったときに、松原氏は五千家族の日本人の移民を許してもらいたいというので、五千人という人間を彼の名において