2019-11-07 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
十二月に正式にロシア連邦共和国でありますけれども、その前年の九月にロシア共和国、エリツィン大統領がなっております。 そして、エリツィン大統領はこう言っております。戦後の国際社会の枠組みは、戦勝国、敗戦国に分けられているが、私はその垣根を取っ払う、クリル、いわゆる千島です、千島列島ですね、これは未解決の地域だから、法と正義に基づいて話合いで解決すると言ってくれたんです。 当時は海部政権でした。
十二月に正式にロシア連邦共和国でありますけれども、その前年の九月にロシア共和国、エリツィン大統領がなっております。 そして、エリツィン大統領はこう言っております。戦後の国際社会の枠組みは、戦勝国、敗戦国に分けられているが、私はその垣根を取っ払う、クリル、いわゆる千島です、千島列島ですね、これは未解決の地域だから、法と正義に基づいて話合いで解決すると言ってくれたんです。 当時は海部政権でした。
冷戦が終わったときに、東ヨーロッパの諸国に駐留していた旧ソ連軍、その後、九一年の末にはソ連邦が崩壊いたしましてロシアになりましたけれども、ロシア軍が本国に引き揚げるに当たって、当時の東ドイツ、それからポーランド、チェコなどに長期駐留していたために、それが一気にロシア共和国の本土に戻ると、それを収容するだけの施設がないとロシアが言いまして、実態はどうだったかは我々にはわかりませんが、それで、東西融合を
そしてまた、現実にはソ連とアメリカとの対立がなくなって、ロシアがロシア共和国その他になって、しかもそのロシアと日本とは海難救助協定みたいなやつも結んで一緒に訓練をするようになってきた。
その後、ロシア共和国ではエリツィン大統領を輩出するわけですが、その前にロシア共和国では、大統領を国民の直接投票で選ぶかどうかの国民投票もやっています。その後、エリツィンが実権を握ってからは、九三年四月二十五日に、このレジュメに書いてありますとおり、四つの項目についてロシアは国民投票をやっています。
それから二年後の一九九一年八月、ロシア共和国が新しい統治者として登場し、ソ連はその年十二月、消滅して歴史から消え去りました。 あのころを思い出してください。世界じゅうで平和の配当という言葉が使われました。人類の二十世紀は、第一次、第二次世界大戦と長い東西冷戦の下で終わってしまいました。冷戦といえども、アジアだけを取ってみても、朝鮮戦争、ベトナム戦争を始め様々な、様々な熱戦、熱い戦争がありました。
日本国というものがある、あるいは大韓民国というものがあり、ロシア共和国というものがある。じゃ、準ずる者、準ずる組織と言いましたときに、じゃ、組織性、計画性、国際性、継続性、しかしそれを総合的に勘案をして同じ準ずるという評価をしますためには、これがどう、これがどうというふうな数値化の問題ではない。
そうすると、あとは二島についての帰属の問題ということになるわけなんですが、今までの協議の中で、一九九二年の渡辺・コズイレフ外務大臣、これは、ソ連邦が崩壊した後、当時のロシア共和国の外務大臣だったコズイレフさんが新しい国の外務大臣として来られたときに、二島返還で、あとの二島は継続協議というような提案があったということが伝えられていますけれども、今までの交渉の中で、そういうような話が向こう側から出たことはあるでしょうか
ソ連邦ゴルバチョフ大統領、そしてロシア共和国連邦大統領エリツィンさんに明確に言っているのです。より具体的に、この外務委員会等でこの表現そして四島一括という言葉を使わなくなっているのは、九二年の渡辺大臣からだと私は認識しているのですが、いかがでしょうか。
ソビエト連邦がロシア共和国に変わったということはその一つの代表でありました。イデオロギーの時代が終わってみると、新しい時代に、新しい世界史の時代にソビエト連邦という名前ではいかぬということですね。 そういう形で、名前も変わっていきますし、そしてまた国によっては国境線をかきかえていくというふうな動きも出てきます。悪くすると、それは湾岸戦争のような形も出てくるでしょう。
そして、ソ連の領土への編入手続の御質問の点でございますが、一九四六年の二月二日付のソ連邦最高会議幹部会令をもちまして、これらの地域に南サハリン州を設置いたしまして、これをロシア共和国ハバロフスク地方に編入する一方的な国内手続をとったというのが事実でございます。
まず、総理、ロシア共和国エリツィン大統領との首脳会談、御苦労さまでした。西暦二〇〇〇年に向け日ロ関係の真の改善を心から期待いたしております。 外務大臣、対人地雷全面禁止条約に署名される御決断をされたことに心からの敬意を表します。 さて、本題の財政構造改革法案についてですが、伺いたいことは大きく二つ。
○小川勝也君 その北海道のすぐ近くに、いわゆるロシア共和国のサハリンがございます。御案内のとおり、北部サハリンの油田並びにガス田の開発で、今や世界から注目を浴びているところでございます。そして、北海道の中でも稚内、小樽、函館など、このサハリン開発の拠点に我が町こそなろうということでいろいろな動きがございます。
○相沢分科員 そのようなことで、我々としては、旧ソ連邦、今のロシア共和国を相手にしてその請求をするということになりますが、ただ、個々の問題で個々の抑留者が請求をしても、なかなか、実際問題として、その交渉がうまくいくわけはございませんし、この共同宣言は共同宣言として、いずれ平和条約が結ばれるということも当然あるわけでありますから、私どもはそのことも考慮に入れて、やはり個々の請求権が現実の問題として実現
やはり四島、特にこの戦後五十年というものを踏まえて、あのロシアも、ニエットのロシアから今や市場経済、自由と民主のロシア共和国連邦になったわけでありますから、私はここら辺で日本側も新たな発想なり新たな対応が必要ではないかと思うのですけれども、大臣、いかがでしょうか。
その間に、ドイツ連邦共和国のヘルツォーク大統領、それからロシア共和国のチェルノムイルジン首相、イギリスのメージャー首相、アメリカのゴア副大統領、最後はフランスのミッテラン大統領の各演説があった。非常に感動的な、シンプルな中にも粛々とした式典であったわけでございます。
○野中委員 おっしゃるとおりでございまして、私が実に不可解なのは、平成四年の七月三十一日にロシア共和国最高会議代表団一行が来たときであります。これはモスコーから成田に着きまして、そして直ちに、十七時に十分の小沢一郎前幹事長と懇談をして、すぐ十九時から熊谷副幹事長主催夕食会をニューオータニの四十階で、バルゴで開催をされております。
それを受けて、今度はロシア共和国から最高会議のハズブラートフ議長を初めとする一行が、平成二年十二月の十三日と平成三年二月二十六日の二回計画がありましたけれども、先方の都合で中止になって、そして平成三年の九月の九日に一行がやってまいり、次に平成四年の七月三十一日にまた、これはクラフサフチェンコですか、この人を団長にしてやってきておるわけでございます。
ただ私が申し上げたいのは、今のロシア共和国だけじゃなくて、旧ソ連の中に随分御遺骨があるところだとか、墓参をしたいと言っておられる方がおるところとかが広がっておるわけでありまして、この辺について何か今後手を打とうとしておられるのか、お聞かせください。
○荒木清寛君 核弾頭についてですけれども、ロシア共和国には八千百発、ウクライナ共和国には一千六百発程度あるというふうに認識しておりますけれども、そういう情勢でしょうか。
○荒木清寛君 そういう意味ではぜひロシア共和国以外の共和国とも友好を深め、また支援できる部分は支援をしていただきたいというふうに思うわけです。 以前にも質問したのですけれども、ウクライナのクラフチュク大統領が今月の中旬ですか、いわゆる西側諸国を非難した。
そして旧ソ連邦、今のロシア共和国等との貿易額は日米の三十分の一でございます。したがって、いかに日米基軸外交というものが経済の上ではっきりしておるかということは、この指標を見ても明らかなわけですね。 したがって、私は、今ロシア支援が盛んに言われておりますが、日米基軸外交の中でロシアを支援していかなければならないという原則を強く持っております、私は自民党の日ロ議連の会長でありますから。
また、核の脅威、旧ソ連諸国、ロシア共和国における核の脅威という点を考えれば、これは我が国もアメリカやまたヨーロッパ諸国とその懸念を共有するものでありますので、その点について核拡散の防止とか核技術の流出の防止とかについて協力をしていくということは我が国の安全にも大きくかかわるものと考えており、その点は国民の皆様にも御理解をいただけるものと考えております。