1950-07-31 第8回国会 参議院 本会議 第12号
併しながらロシアのように無料にすることはできない。ロシアにおいては宣伝の目的のために無料にしているのでありましようが、日本国は共産主義の宣伝のために映画を無料にするということはできません。(拍手、「それが総理大臣か」「飛んでもないことにこじつけたものだな」「めい答弁、但し迷いだ」と呼ぶ者あり) 〔国務大臣大橋武夫君登壇〕
併しながらロシアのように無料にすることはできない。ロシアにおいては宣伝の目的のために無料にしているのでありましようが、日本国は共産主義の宣伝のために映画を無料にするということはできません。(拍手、「それが総理大臣か」「飛んでもないことにこじつけたものだな」「めい答弁、但し迷いだ」と呼ぶ者あり) 〔国務大臣大橋武夫君登壇〕
で、衆議員の彌次においては、それじや君らはどつちに行くのだ、すぐアメリカかに付くのか、ロシアに付くのか、こういうような彌次が飛びますが、我々の考え方は結局この対立と呼いうものは、まあなかなか永久に解けないもの、であるからむしろ我々は争いがなくなつて、政治的な妥協ができて併存するという形が非常に日本にとつてもよい。であるから併存するということを乱さないような講和を我々は望んでおるわけであります。
判決文によれば、時の外務大臣松岡氏は、中立條約に調印後、駐日ドイツ大使オツトー氏に対し、「ドイツとロシアの衝突の場合に、日本の総理大臣や外務大臣は誰であつても、日本を中立にして置くことはできないであろう。この場合日本は必然的にドイツ側に立つてロシアを攻撃しないわけには行かなくなるであろう」と述べております。
その第一回目の十月下旬に出ました十六名の者は、ノヴオシビルスクまでは行つた形跡はあるのでございますが、と申しますのは、私達三十六名がノヴオシビルスクに到着しまして、そこに勤務しておりますロシア人に、前に日本人が十六名ばかりおつたということを聞きまして判断したのであります。
私もロシア語は余りはつきりは分りませんが、ともかく今度還るのは捕虜だから、これは還されないと言つておりました。現に刑を終えて一月という人もおります。名前と住所の方は私らと一緒に乘りました梯団の川口廣という人がその書類を持つております。
○証人(日下敬助君) 監獄に入つてからは、監獄中はロシア人の囚人と同じように收容されました。部屋の大きさは十メーターに四メーターくらいの広さのある部屋、そこに下に床が張つてあるのですが、大体六十名くらい收容されました。そのうちロシア人が三十名くらい、日本人が三十名くらい、それだけ收容されておりました。下の床板を自分達はナールと言つておりましたが、そこには毛布と藁布団と……。
○証人(池田正人君) 大体自分から要望して、自分から希望をして通訳になる場合もありますし、又向うの方から、あれはロシア語ができるからというわけで、指名して来る場合もあつたと思います。
しかるに論をなすもののいうところでは、その論旨は一貫いたしませんので、聞きようによつては、第一次、第二次農地改革当時の議論をむし返しまして、あるいははつきりは言わないけれども、農地の私有を否定するかのごとく、せざるかのごとく、自作農地よりも労農ロシア的な国有集団農地で、全面供出的な制度の方がいいようなふうにも思われ、あるいはまた思われないようなまことに収奪農業的な、趣旨の徹底しないことが数日も繰返されておるのでありまして
「らつこ」「おつとせい」に関しましては、明治四十四年七月に、日本、アメリカ、イギリス及びロシアの四ケ国間において膃肭獸保護條約が締結されたのであります。我が国といたしましては、この條約を忠実に守るために、その翌年即ち明治四十五年の四月に臘虎膃肭獸猟獲取締法を制定いたしたのであります。
○内藤(隆)委員 なかなかこの証人雄弁でありますから、私の聞かんとするところを早く答え過ぎて実は困るのだが、スターリン大元帥の肖像が張つてあることはわかる、これはロシアだから。日本に張つてはこつけいになるが、ロシアならよいでしよう。今証言になりましたが、徳田球一あるいは野下坂參三、毛沢東といつたような人々の肖像も並んでおつたのですな。
ロシア語で言うのはあたりまえです。
ロシアの共産党がロシア国民にわれわれの目に映じた範囲において、あるいはわれわれを世界の人類の一員とみなして取扱つてくださつたいろいろな方法に関して、それが正しい民主主義がどうかということについての多大の疑念を持ちます。
自由意思をもつて働いたとおつしやるけれども、今までのあらゆる人があらゆる機会において、自分は自由意思ではなかつた、ただ食糧を得んがために、あるいは早く帰らんがために、やむことなく客観的情勢に強圧されて、いわゆる客観的無言の強制に強圧されて、やむことを得ず、自由意思を捨てて強制労働に服して来たと言うのでありますが、このことはきわめて重大でありまして、自由意思にあらざるところの強制労働というものが今日ロシア
しかし一九四九年の九月だつたと思いすが、結局いろいろソビエト同盟の取調べ当局の方で大分進行して来た事件に関係がありまして、その事件というのは、淺原君は三四五部隊といいますが、これは特務機関のロシア語教育隊であります、この部隊に所属していた。これだけでは大して問題じやないのでありますが、終戰時にハルビンにソ連の人々を收容した保護院というものがありました。
そうしてまたもしもソビエト・ロシアとアメリカ、もしくは日本において戦争でも勃発した場合には、銃口をアメリカ並びに日本人に向けてもかまわぬ、親兄弟にも関係なく、とにもかくにもソビエトのために、その同志のために、日本共産党の祖国であるソビエトのために働かなければならぬというような教育を受けているのではありませんか。
ただそれはどういう事情で、それがロシア語だつたか英語たつたか記憶ありませんが、翻訳されているものかどうか。それがどういう経路でコミンフォルムの機関紙に載つたか。それは私には少しもわかりません。
○鍛冶委員長 そこであなたもこの中に入つておられて、ロシア語ができるから聞いたらわかるだろうと証言した人がありますが、それは間違いですか。
○篠田委員 それからナデーエツアという言葉を期待していると訳されて、要請しているというのは強過ぎると言われましたが、それではほかに要請しているというロシア語はどういうふうに使うか、ちよつと教えてもらいたいと思います。
今あなたがロシア語で読まれたこの手記は、どこでまとめたのですか。
元来、妻は夫の国籍に従うという夫婦国籍同一主義は、従来各国の国籍法の採用していた原則でありまして、家族制度に立脚する現行国籍法も、もとよりこの原則によつていたのでありますが、近来における夫婦平等の思想の発展の結果、国籍の関係においても、妻に夫からの独立の地位を認めようとする傾向が次第に強くなりまして、ソビエト・ロシアは一九一八年、アメリカ合衆国は一九二二年、フランスは一九二七年、つとに国籍の得喪について
それは満鉄に勤めておりました関係上、最初満鉄におりましたときにロシア語を習いましたので、このロシア語のことから、ちようど満鉄の新京に勤めておつたという向うの推定のもとに、満鉄の調査室勤務という中傷を受けまして、そういうふうに目されたのであります。
ではお前はなぜロシア語を習つたか。ロシア語を習うのはあなたたちは存じないかも知れないけれども、われわれが日本で中学校とか大学で英語とかドイツ語を習うのと同じように、満鉄でも支那語とかロシア語、そういう語学を教えている。それで自分はロシア語が一番興味が深かつたから、それを専攻した。しかしお前はそのロシア語という武器をもつて、対ソ的な侵略戰争の諜者として働こうとしておつたんじやないか。
○小笠原証人 これは私見になりますが、ロシアにおいて行われたところの民主運動というものは、これはロシアの御用運動だと、こういうように私は解釈いたしました。
また反動分子は日本共産党の敵でもあるが、国際的な意味から言つてロシアの敵である。ロシアはわれわれの祖国である。われわれの祖国に対して弓を引くようなものはシベリアの土にしてもさしつかえないものである。とにかくりつぱな民主主義者というものは共産主義者である、共産主義者にならないものはとにかく帰国の権利がないというのが根本だと思います。
○上村証人 労働はロシア語でいうノルマ、つまり基準量があります。その基準量はベルトーチカ、つまり貨車の積込みを一つ例をとると、貨車の積込みには大体四クボ四十の土を掘つて貨車に載せなければならない、これはまず日本の労働者でもなかなかできないだろうと思います。そのようなのが基準量になつております。それをぜひともやらなければならないが、これはロシアの一人前の労働者でもなかなかできないと言われている。
幸いにして我が国の労働者諸君は、一九〇五年のロシアのそれとは違つた意識の水準を持つておるが故に、或いは同一の結果が起きないであろうけれども、併しながら相手が無智であり、暴虐であり、横暴であるならば、結果の如何は予測することはできませんのみならず、我々は飽くまでもドツジ・ラインの修正、資本家擁護のためのこの二十五年度予算に対して、これを突破するのはただ一つベース改訂あるのみという確信を持つて闘つており
そうして入ソして日本を救わんとして、その道をマルクス主義、ロシア共産党によつたわけであります。われわれが日本に上陸いたしまして、なぜ転向しなければならなかつたかという問題につきまして、私は日本に上陸して、いかに日本の祖国が美しいものであつたか。
そういう人が日本新聞に紙とか写真ばかりでなく――向うにナストロイカ、建設というドイツ語、フランス語、英語、ロシア語、四箇国語で新しい五箇年計画のプロパガンタ用の美しい写真グラフが出ております。そういう記事からやはり送られて、最近日本新聞にずいぶん出ております。いわゆる編集に対する直接責任というものは、日本新聞社のコバレンコフがやる。
現実に私たちが作業場でロシア人に話すならば――私たちは指揮官であつたときに、証明書をもらつてロシア人のところへ遊びに行きます。そうするとよく来たというので、ロシア料理を食わせて、明るい人扱いをする。そして喜んで全員に食わして、そのあげくはバラライカをひいて、娘とタンスを踊つたりして非常に愉快にやるが、一旦夜が明けてそのおやじがわれわれの作業現場に来たとき。
そのほかにロシアの原書の本も、ある一部には貸してくれたことは承知しております。
そこで、この言葉は、当時通訳したところのロシア語の堪能な証人によつて、ロシヤ語で国会に発表されたのであるが、この仮定が仮に事実であつたとしよう。どこが不思議か。平和と民主主義とのために闘つているソヴイエトの人民及び兵士が、(「共産党とは違う」と呼ぶ者あり)捕虜てなつた日本人に対して、諸君が民主主義者となることを日本共産党は求めていると言つたとすれば、それは当然である。我々はそれをすべて求めている。
又、ソヴイエト・ロシア又は中国というものが、それぞれの政治のやり方で存在しておるという嚴たる事実に対しては、これを頭から抹殺するという態度でなくして、二つの世界は思想も違い、観念体系も違つておりますが、尚且つ、人類がみずからを救うためには、平和と友愛と理性の道を進むように政治家としては努力せねばならぬ、その努力をどのように効果的に実現するかということに、現代の政治家なり、外交官としての資格があるかどうかが