1954-12-15 第21回国会 参議院 大蔵委員会 第1号
そこでまあ多少衒学的になって恐縮ですが、ロイド・ジヨージが一九〇八年でございましたか、初めてイギリスの所得税に累進税率による当時のスーパー・タツクスというのを作りました。これは現在附加税、サー・タツアスで残つておりますが、これを持込みました。これは免税点は相当高かったんですが、基礎控除の額定を、例えば日本の例で言えば免税点を千円と定めて基礎控除を八百円にした。
そこでまあ多少衒学的になって恐縮ですが、ロイド・ジヨージが一九〇八年でございましたか、初めてイギリスの所得税に累進税率による当時のスーパー・タツクスというのを作りました。これは現在附加税、サー・タツアスで残つておりますが、これを持込みました。これは免税点は相当高かったんですが、基礎控除の額定を、例えば日本の例で言えば免税点を千円と定めて基礎控除を八百円にした。
事件は何でもないことである、大蔵大臣のロイド・ジヨージと、検事総長アイザツクスがマルコニー会社の株を持つておつて儲けたということがその前の年の春から問題になりまして、一年三カ月かかつて、遂にこれが全貌が出て見ますと、ロイド・ジヨージもアイザツクスも何も関係がなかつた。即ち、同じマルコニー会社でもアメリカのマルコニー会社の株を持つておつた。
(笑声)この社会保障という考え方はずいぶん昔からもあり、また変転もして来ておりますが、一九一一年でしたか、二年でしたか、ロイド・ジヨージのああいう立法以来、貧困にいたしましても、あるいは老齢にいたしましても、あるいは疾病にいたしましても、失業にいたしましても、そういうものは国家の責任であるという考え方がありますが、これは文明国においては一つの既定の考え方になつておると思うのです。
即ちマクドナルドの率いるところの労働党とロイド・ジヨージの率いるところの自由党の連立がこれであります。連立或いは提携におきましては、少数党が多数党を引きずり廻すことは過去の政党史が明らかに教えておるところであります。そうしてこのような結果が、やがて行なわれました選挙で、労働党は重大なる打撃を受け、又日本の改進党に当るイギリスの自由党が遂に空中分解いたしまして歴史を私は本議場で語るに忍びません。
日本が今日あるのは、軍部が政治を私したといいますが、政治家、ことに外交官が軍事上の知識がないがために、ロイド・ジヨージやチヤーチルのごとき牽制力がなかつた。再びそのあやまちを繰返さないように、政治家は、保安隊の内容、実質について徹底的なる認識を得る必要があると考えますが、この点について、吉田総理はいかなる程度までわれわれに実態を開放し得るか。
そのために英の国代表でありましたロイド・ジヨージも、この二人の間を取り持つために非常な苦労をいたしまして、結局できましたヴエルサイユ平和條約は、ドイツにとりましては非常な不満、憎惡の原因となつてしまいましたし、又フランスにとりましても極めて物足りない、いつ又ドイツから報復を受けるかわからないような不満なるものとなつてしまつたのであります。
あの第一次世界大戦のあとに、ヴエルサイユ條約をつくるときに、イギリスのロイド・ジヨージが四千八百億金マルクのあの賠償を計算しておつたときに、ドイツ側の政治家はウイルソンのあの原則を信じて、ほとんど賠償に対する配慮をしておらなかつた。何とかなるという甘い見通しを持つておつたといわれております。池田大蔵大臣がちようどそのような心境にあるのではないかと思う。
英国におきましては、ロイド・ジヨージの内閣におきまして、いわゆるサー・タツクスなるものを設け、それ以来配当課税はノーマル・タツクスにおいては課税しておらんのでありますが、サー・タツクスにおいては課税しておると承知しております。
ロイド・ジヨージという総理大臣をしておつた男が自分の選挙区へ帰つた写眞が新聞に出ておつた。いなかの往來の角にロイド・ジヨージが立つて――演壇なんかありやしない。そこに四、五人おかみさんや村の人が集まつて來て、個々面接をやつておる。
ロイド・ジヨージ氏、あの人の発案であわゆるホイツトレー・コンミツシヨンというものを方々の職場につくつて、労資の混合協議会的なものをつくつたのであります。