運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
6件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1962-04-21 第40回国会 参議院 外務委員会 第16号

一昨年八月、ラオス中立化のための無血クーデターが、これはコンレ大尉によって成功しましたときに、この中立化に反対するノサバン・ブンウム一派を軍事的に支援したのはアメリカタイ国であります。また、ラオスの平和、中立、統一、民族融和のための政権樹立に反対するこれらの勢力は、タイ国領土を通過して、最初はタイ国領土から中立政権武力攻撃を加えたのも御承知のとおりであります。

坂本徳松

1961-05-26 第38回国会 参議院 予算委員会 第27号

○国務大臣(小坂善太郎君) ラオスの状態は、御承知のように、ブンウム政権、それからプーマ中立的な政権パテト・ラオコンレ大尉によるところの左翼政権、この三つが争いまして、この国内で戦争はいつまでも続いている。かくてはとても新しい民衆のための福祉というものを持ち来たらすことはできないんじゃないか。

小坂善太郎

1961-03-30 第38回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第4号

昨年八月にクーデタが発生して、コンレ大尉クーデタ成功の日にコミュニケを発表して、愛国、正義、公正、中立ラオス国民に訴え、次いで革命委員会の推薦で国民議会の満場一致の支持を得て、並びにバッタナ国王組閣要請を受けて第二次プーマ政府が合法的に誕生した。昨年一九六〇年の十月十六日にプーマ首相は、国民議会で次のような施政方針を明らかにしています。

岩間正男

1961-01-30 第38回国会 衆議院 本会議 第3号

アメリカ容共派とするコンレ大尉はもちろん、パテト・ラオすらも本来は容共派ではなかった。それを共産側に追いやったのは、むしろアメリカサナニコン政権援助政策にある。プーマ政府各派連合中立政権を企てたとき、アメリカノサバンにドルと武器を与えて反抗させた。ハンガリーに対するソ連の行動を非難したアメリカが、中立を求めるプーマ打倒を援助する矛盾は弁護の余地はない。

加藤勘十

  • 1