1977-10-25 第82回国会 参議院 社会労働委員会 第2号
あのときは、毎時、〇・二ミリレソトゲン・パー・アワーであったというように聞いております。それが世の中では大変な大騒動になったわけなんです。 そこで、一つお聞きをしたいんですが、デンタル・レントゲンで約三メートルぐらい離れたところで測定をした場合、普通の一般に使われている、どのくらいの量になるんでしょうか。ひとつそれを聞かしていただきたい。
あのときは、毎時、〇・二ミリレソトゲン・パー・アワーであったというように聞いております。それが世の中では大変な大騒動になったわけなんです。 そこで、一つお聞きをしたいんですが、デンタル・レントゲンで約三メートルぐらい離れたところで測定をした場合、普通の一般に使われている、どのくらいの量になるんでしょうか。ひとつそれを聞かしていただきたい。
ただ、エックス線のようなさらに広範な、三万レソトゲンにも及ぶ病院あるいは事業場等で使っておるものに対しましては、これは通産省なり厚生省の方で、今お出ししております基準法で基準がきまりましたら、その基準に従って実際の取締りをやっていただく、それに必要な法律改正等は各省でそれぞれ責任を持ってやっていただきたいというふうになっておるわけでございます。
によっては三分の一くらいは死ぬかもしれないというぐらいな程度の放射線が当らなければ、今のような二年くらいで回復するという一時的の生殖能力の低下というものは起らないということになりますので、また問題が非常にこんがらがって参りますが、遺伝という方面で考えますと、そんな大きな分量でなく、ごく少量の分量——またそれの例を一例上げますと、一番少量の推定をしております遺伝学者は、生まれてから三十才に達するまでに三十レソトゲン
○小澤(龍)政府委員 従来医療法では、レソト、ゲン発生の装置のみを目標として取締り法規ができておったのでありますが、過般の改正に際しましては、放射性物打をも合せて取締り法規の改正をいたしたのでございます。
そこでレソトゲンやら心電図の設備やらを購入するとそれに税金がかかってくるというようなことで、医師の生活が脅かされているわけであります。さらにまた病院を経営しておるなら人件費を払わなければならぬ。こういうような状態で、十月分の診療費はどうしても年内に払わなければならなかったということが大きな理由であったのです。
それからたとえば六百レソトゲンという量を人間が受けた場合に、それがどの程度――これは六百レントゲンで致死量といわれている。ところが六百レントゲンが果してどういうわけで致死量になっているかということも、おそらくあまりわかっていない。
アメリカあたりでは、レソトゲンですら障害を受けた人はないらしい。それくらい厳重に管理しておる。日本の場合には、レントゲンの被害が非常に多いのです。そこで、われわれは、炉は初めてでありますから、経験はありませんが、レントゲンも含めてもっと管理を厳重にしようというので、第八章に放射線による特別の措置を認めたわけです。
○藤田進君 それは遺憾に思われても、あなたがお医者さんでレソトゲンを見られたかどうかわかりませんが、私は見ていないので、私の感想を率直に申し上げると、きのうの事情からあまりに移り変りが激しいテンポにあったために、実に元気にあれだったのが担架で出られるというので、どうも過去衆議院ではいろいろなことがあったものだから、よく誇張視されておるというようなことがあったものだから……。
奈良県の天理教の結核病院で非常に造詣の深い先生がいらつしやいましたが、今国は病気になつた人に非常な金をかけておる、そうしてお苦しみになつておるようであるが、まず全体の国民に早急に、——健康診断と申しますかレソトゲンにかけてちやんとするまでに一人五十円かかる、それをやつてもらつて、肺病にならないような措置を先に講じて、なつているものは隔離するとかいうふうにしていただいたら、国の経済としてもその方が得ではないかということを
從つて退院した後にレソトゲンでとつてみるとちつともきいてない。退院した後にほかの医者に行つて、私はこの一箇月ばかり透視をしながらやつた。そういうことは何によるかというと、決して清瀬病院にいる医者が良心がないからそういうことをやつたのではない。実際に手が足りない。ここに厚生省の統計もありますが、今年の四月からですら医師一人当りについて患者数は一五・五人から一九・一人にふえています。
子供さんのレソトゲンのフイルムを取寄せて見ましたところ、確かに結核だと思うのですが、どういうところから入つて来たのか、これは問題だと思います。それから兵庫縣の衛生部長をしております玉木という人が群馬縣におりました時分に、やはりこういう事件があつたということを言つておられました。こんなような関係で今現地において調査会ができまして、熊谷先生が中心で縣会の人その他の人々も入つて調べておられます。